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2016年4月25日月曜日

CHROME HEARTSという唯一無二のブランド

artisan

ar・ti・san /άɚṭəznὰːtɪzˈæn/
ー他の人には真似出来ない技術を持った人

ー価格は高価だが、品質の高いものを作る人

ー長く愛せる一点を作り出す人

時計の最高峰と言えば、時計のスタンダードスペックの生みの親であるPATEK PHILIPPEから1932年に誕生したカラトラバ
それまで同ブランドの定番として手掛けてきた複雑時計の機能を職人達が削ぎ落とし、よりシンプルに…これ以上、足す事も引くも事も不要な仕上がりに。時計好きを唸らせる一品。

ドレスシューズの最高峰と言えば、JHON LOBBの”ウィリアム”。
1945年、同ブランドにて当時の英国王の為にビスポークとして生みだされたのが”ダブルモンク”という型。 「JHON LOBBは靴を作っているのではない。JHON LOBBを創っているのだ」とジョンロブにて働く職人が放った言葉に嘘偽りは無く一点一点、優秀の美を送るべき作品を世に放っているJOHN LOBB。

帽子の最高峰と言えば、Borsalino”シナトラ”
イタリアでは、帽子が一つの財産として認められ、相続の対象となるほど価値あるものであると言われています。 手触りは柔らかいのに、型崩れしづらい。紳士の象徴として愛されるボルサリーノのハット。時代の流れに従い、機械を導入しても、職人の手による作業が加わっているの今も昔もは変わらず。無論、素材へのこだわりも変わらず。
一度手にすると、ボルサリーノは帽子界の頂点に君臨し続ける存在であるのは言わずもがな、おわかりいただけることでしょう。


自分が思う最高峰を上記で書いてみましたが、分野はそれぞれ違えど、全てに共通する部分があります。
既にお分かりの方も多いかと思いますが、全て職人の手が。即ち、各々のプロフェッショナルが手がけているという事。そして、”持ち主に生涯寄り添ってくれる最高の一品”である。と言う事です。

レザー、シルバーアクセサリーの最高峰のブランドはどこか。そう問われた際に誰もが思い浮かぶブランドと言えば、"CHROME HEARTS"ではないでしょうか。

クールであり、時にセクシー。
クラシカルであり、時にアグレッシブ
高尚であり、時に遊び心をくすぐられ

相反するような語義や形容詞が思いつくブランドも少ないのではないかと思います。

かなり前置きが長くなりましたが、今回はクロムハーツにフューチャーしてズラズラーと書いていこうと思います。


CHROME HEARTSというブランド

という事で先ずは、ブランドの誕生までの経緯を簡単に書いていこうと思います。
1970年代末、ニューヨークで生活していた創始者であるリチャード・スターク(Richard Stark)は、グレイハウンド・バスに乗りカリフォルニアへと移住し、大工の見習いとして建築を学び始めます。この建築会社では、別事業で皮革輸入も行っており、リチャードは大工業と同じく皮革輸入にも携わりはじめます。

その後、大工業を辞め、皮革輸入会社一本に絞り、営業に転身する事を決意。
元々、バイクに乗る事が趣味であったリチャードは、自身のハーレーで全米を巡回しながら営業をしている時に、同じ皮革製品のセールスをしていたジョン・バウマンと知り合う。 その後、自分たちやバイカー仲間が履く最高のレザーパンツを作ろうと、リチャードとジョンは意気投合。

当時の市場では、上質な素材を用いた高い技術での加工といった職人気質なプロダクトは求められておらず、粗悪で安価な素材やプロダクトが求められている事が多かったそう。
そんな中で、二人は最高級な素材を仕入れ、レザーパンツを作り始めます

二人は、既存のバイクファッションに飽きたらず、自分たちが身につけるアクセサリーやバイクの装飾品を求め始め、彫金職人であるレナード・カムホートを仲間に取り組む。

そして、かの有名なジッパーやボタン部分の素材をニッケルではなく、シルバーを用いたライダースジャケットやレザーパンツ。シルバーアクセサリーが誕生します。

1988年に産声を上げたクロムハーツ。
ブランド設立と同年にアメリカで撮影されたB級ゾンビ映画Chopper Chicks in Zombietown(本題:CHROME HEARTS)ダブルのライダースジャケットが衣装提供として使用されており、その映画をたまたま観た元セックス・ピストルズ、ギタリストのスティーブ・ジョーンズがライダーズを気に入り、それがクロムハーツのものだと知ったスティーブはクロムハーツのライダースを入手。
それが火種となり、ロサンゼルスのカリスマ的セレクトショップが取り扱いを始め、感度の高い人々の間での口コミから爆発的な人気を集め、瞬く間に世界中で注目されるブランドとなります。

今日の時代のように、インターネットなどの情報発信の場は無く、情報源は雑誌や口コミが主流の時代。
そんな時代に世界中に知れ渡るまで、時間が掛からなかったのは、それだけ品質が高く、デザイン性も高かったから。といえるでしょう。


ちなみにこちらの"Chome Hearts"という映画、Chopper Chicks in Zombietownというタイトルが一人歩きし、こちらの呼び名の方が有名となり、後に本編でもタイトルが変更されております。笑
気になる内容は…とある町で、鉱山発掘の労働奴隷させられる人々を殺しては、頭に電池?みたいな装置を埋め込み蘇生させ、ゾンビにしてこき使っていたが、そのゾンビ達が突然町を襲いだす。
そこに"Sluts"という女性バイカー集団が、アメリカツーリングツアー中に立ち寄り、ゾンビ達と戦う…ざっくりお伝えするとそんな内容でした。(映画のレビューになりそうなのでこの辺で止めときます)

このSlutsというバイカー集団こそがあのクロムハーツが衣装提供したライダースを着ているワケなのですが…ディテール、シルエット、どこをとってもカッコイイ!!先入観無しでカッコイイライダース。。

他にもカッコイイと思うライダースジャケットのブランドは有りますし、欲しいなぁ…と思うレイダースも有りますが、やっぱりクロムのライダースが一番欲しい!!そしてカッコイイ!!と改めて確信しました。(欲しい‼︎って思うポイントを書き出すと、長くなりそうなので割愛します)


話を戻しまして、日本国内にて初めての正規取扱店として取り扱いを始めたのは1990年、インテレクチュアルギャラリーだったようです。(2012年には取り扱いを終了。)

その翌年91年にはギャルソン青山でも取り扱い。ギャルソンといえば、クロム・デ・ギャルソンなんてのもありましたね(日本にクロムハーツを仕入れたには、川久保さんとの噂も有りますが、真相は…僕には分かりません。)
ボタンにクロムハーツのシルバーを用いた逸品。。現在では、DSMにてクロムハーツ(主にシルバーアクセサリー)を展開してます。(2014年にDSMGINZAに行った時点での話)




あまり長々と書いたところで、そのブランドの魅力が伝わると思わないのであまり長く書きたくないのですが…好きなものについては、ついつい書いてしまう。。


ハリウッドにあるアイスクリーム工場を改装したファクトリー。
ここでは、レザー、シルバー、ウッド(家具など)、ファブリックの全てのセクションの工房があり、アトリエがあり。製品の企画、制作の全てがここで行われているそう。
いわば、クロムハーツの核となる場所。
なにより凄いのは、クロムハーツの商品は外部発注をせず、全て自社工場にて各分野でスペシャリストな職人が手掛けている。
そして、リチャード氏の目の届く範囲で作られ、無理のない生産を行っている。
ということです。ここまで徹底して作っているのも、リチャード氏自身が大工として養ってきた経験が生きてこそではないでしょうか。
現在でも、製品化する前のサンプルをリチャード氏が確認し、OKが出た作品だけが世界のクロムハーツショップに並んでいます。

このこだわりは店舗作りにも及んでおり、什器はもちろん、ドアノブ等の細かいディテール部分にはシルバーを使用。とぬかりなく。
什器に使われる木材は、通常では家具には使用されることも少なく、人力で運ぶには困難で、熟練した職人で無ければ扱う事が難しいと言われているエボニー材(黒檀)を使用。
これら全ても、もちろん同じファクトリー内で作っており、新規店舗が出来るとなれば、世界中のどこにでも店舗制作用の職人チームがスケルトン状態の店舗に予めファクトリーで製作した什器等を持ち込み、細かい部分はその場で制作し、はめ込んでいく。

一点ずつ手での削り出しの為、階段手すりの支柱などもよく見ると一本ずつ仕上がりが異なる一点物。
手作業によるものならではの暖かみが、クロムハーツの商品や店舗の什器一つ一つにあるように思います。














クロムハーツというブランド。たくさん付けている人をよく見かけます。(別にそれ自体が悪い。)と言ってるワケではないのですが、一つでも存在感の強いブランド。
ならばさりげなく、一つ二つだけを身につける方が、喧嘩せずにそれぞれの個性が際立ち格好良さが引き立つんじゃないかな?と思います。

今日はこれとこれにしよう。明日はこれとこれ…など、たくさん持っているならばその日の気分で身につけるものを選ぶ楽しみが出来るとも思います。


最後に職人さんが手がけるもの。どれをとってもそうですが、長く愛せるものである事を忘れないであげてください。持ち主がケアをしてあげたり、大切に扱ってあげれば、本当に長く寄り添ってくれるものたちばかりです。
そして、長年使い込んで、あなただけの逸品に仕上げてみてはいかがでしょう。

まだまだ書きたい事がありますが、かなり長くなるのでやめときます。笑





あー…クロムのライダース欲しいっ!!一
個大きい目標クリアーした時に買おう!!その為にもがんばろー!!!


2016年4月20日水曜日

Christian Louboutin というドレスシューズ

ドレスシューズ【dress shoes】


礼装用の靴。男性用の革靴や女性用のパンプスなど。
ー礼服に合わせるもの。
ー特別な日に履く靴。


はいっ!前回に引き続き"靴"です。
同じ靴と言っても、前回の靴は"デイリーユース"即ち日常生活に適した靴。
で、今回は"ドレスシューズ"特別な日や特別な場所に適した靴。のことです。

といっても、現在では、ドレスシューズのボーダーラインも無く、普段使いとしても親しまれているように思います。
それが駄目!と言いたいワケではないのですが、ドレスシューズは元々、耐久性の弱く儚いものです。
そこを理解せず、普段使いし、酷使されているドレスシューズを見ると、靴が可哀想。と思ってしまいます。(あくまで個人的な感想)
デザイナーは、履く人の個性や美しさを引き出せるように。と、思いを込めてデザインし、それを職人さん達が受け継ぎ、強い意志のもとで作られているものばかりだと思います。

前置きが長くなりましたが…この前置き部分で先ず伝えたい事を汲み取ってもらえたら幸いです。

という事で、本編に参りましょう!
今回は、女性の憧れのシューズブランド"Christian Louboutin"にフューチャーしてお送りしていきマス!

Christian Louboutin


レッド・ソール”(深紅の靴底)この言葉を聞いたりこの色を施されている靴を見かけると、”ルブタン”を連想する方がほとんどではないでしょうか。
世界中の女性を虜にして止まないレッド・ソールのハイヒール。
”クリスチャン・ルブタン”

1992年設立のブランドで、各国のセレブ達が履いていたり、映画などにも使用されたり…がキッカケでここ日本でも人気を博すようになり随分経つように思います。(店舗も増えましたし)

では、レッド・ソールの誕生したきっかけを知っている人はどれくらいいるでしょう?
と、書いている本人も今回の記事を作るまでは知りませんでした。”Christian Louboutin”の靴を持っている人も、これから買おうと思っている人も…。
ちょっとしたブランドヒストリーを知ってから足を通すと、そのブランドに秘められた魅力を知ったり、ルブタンに対する愛情が増すのではないでしょうか。

先ずは簡単にデザイナーについて書いていこうと思います。
言わずと知れたデザイナー。クリスチャン・ルブタン氏は、フランスはパリの生まれ。
父親が家具職人で小さい時から物作りへの興味は強く、幼少期の頃より特に婦人靴にへの関心が有ったので学生中はショーガールの為のシューズデザインを描いていた事が多かったようです。

(この時のデザインについて、インタビューでの答えで気になった部分があったので)
下記一部引用↓
1950年代のアルフレッド・ヒッチコックが手掛けた映画『めまい』に登場する女性が履いていた靴にインスパイアされてデザインした。そして、その時に描いた靴のソールの角度を常に意識してデザインしている。

直筆のデザイン画(現在のものです)

学校を卒業した後も、靴のデザインへの飽くなき探究心は尽きる事が無かったようですが、ファッションへの関心はほとんど無く、ショーガールの為の靴を作りたかっただけだった。とこの時の事を公言しています。その後、パーティー等に参加しては自身のデザインした靴を試して欲しいと申し出るも金銭面の問題でほとんどの女性から断られていたそう。
1980年には自身の関心があるショーガールに触れ合う機会が多いパリの有名ミュージックホール”フォリー・ベルジェール”で働き、その2年後である1982年に当時、クリスチャン・ディオールでシューデザインをしていたシャルル・ジョルダンのもとで本格的な靴作りをスタート。その後も、シャネルイヴ・サン・ローランなどでインターンを経験。
1992年にルーヴル美術館近くのアーケイド"Galerie Vero-Dodat"にブティックをオープンし、ブランドの船出となります。


ルブタンが世界中で愛される理由

真っ先にあげられるのは”美しさ”だと思います。
ルブタンのヒールは彼の思う”女性を美しく魅せる為の角度や高さ”があり、それに伴いデザインし仕上げられている。
もちろん他のブランドも美しいヒールを出していますが、ルブタンが特別視され愛される理由のもう一つに、ヒールも”スニーカーを履いている時のような楽さ”が必要。と考え作られているからではないでしょうか。
これが実現出来たのもルブタン氏の過去の経験が活かされての事。

彼がフォリー・ベルジェールで仕事をしていた時に、ダンサーからカルパッチョの買い出しをよく頼まれていたそうで、食べるのかな?と思いきや、靴のつま先部分に白身魚を敷いてから履きショーに出る光景をよく目にしており、そこからのヒントでヒールにもクッションを用いるようにしたそう。その他にもこの時の経験は靴に活かされているのだとか。。


ちなみに、レッド・ソールの誕生についてなのですが、ルブタン氏は形や履き心地はもちろん。色にもこだわりが強く、イタリアの工場で最初に仕上がったデザインを見た時、ソールに色が付いていない事に物足りなさを感じ、その時に赤いマニキュアをソールに塗ったのが始まりで、あのレッド・ソールは誕生したそうです。


素材への妥協一切せず、今もなお職人による手作業で作らており、刺繍の施されているデザイン物などもハンドメイドでの仕上げとなっているそう。
まだまだ書きたい事はありますが、(アトリエのこだわりだったり、ビスポークの話とか…)かなり長引きそうなのでやめておきます。


高いもの良い。という考えは間違った価値観だと思いますが、ルブタンや前回の記事で紹介したWESCOに関しても値段以上の価値があると思います。
その魅力を生かすも殺すも持ち主次第です。
流行っているから良い。のでは無く、自分の価値観で品定めし、自分に似合う素敵な物を探してみてはいかがでしょう。
このブログは品定めのヒントになれば良いな〜。って考えながら書いてます。


Patti Smithが東京での朗読だけではなく、来阪しライブをすると知り、テンションあがりLIVE verをBGMに長々と書いてしまいましたが、お読みいただきありがとうございました!
また次週も適当に更新します笑

2016年4月15日金曜日

wescoという革靴

最近スケボーで腰捻って軽い捻挫をしまして…1日半の安静期間中にアニメ”亜人”の1クールを見終えました。”佐藤さん”と闘う決心をした”永井 圭” 5月の映画も気になるし、2クール目が楽しみでなりません。


…特に前置きで書くことが思いつかなかったので、本編に入ります。


はい。ブーツとは無縁な季節が到来間近の4月も中旬。
WESCO、WHITH'S、Nicks…アメリカのワークブーツブランドをマイナーな所まで掘り下げるとかなりの数がございます…。自分が好きなもの、やっぱり欲しいな〜って思う一つである、"wesco boots"の魅力についてズラズラ〜っと書いていこうと思います。

WESCOというブランド

簡単に”WESCO”というブランドはどこのブランドでどういった革靴ブランドなのか。
って事を簡単にご説明していきます。
1918年創立のブランドでジョン・ヘンリー・シューメイカという人物が立ち上げ誕生したWESCO。
1929年にはアメリカ本土を襲った世界恐慌により、工場を閉鎖するも家族経営にシフトチェンジし、ブーツ作りを再開。

”100年使い続けれらるブーツ” というコンセプトの素で産み出され、そのコンセプトに偽りなし。と云わんとばかりの堅牢な造り、修理やソール交換を行う事で長く愛せる逸品なのです。




そもそもwescoに興味を抱きだしたのは、20歳の時、販売員として働くキッカケを与えてくれた某国産デニムブランドでの出来事でした。ここでの在職中はその後の興味の幅を拡げる経験がたくさん有りまして…今に至ります。
その一つが、今回のテーマとなっているブランド。

ある日、皆んなでアメカジ雑誌のブーツ特集を見ていて、男性スタッフ全員でWESCOでオーダーしよう。と盛り上がり、それをキッカケにWESCOというブランドを知りました。が、実現ならず自ブランド別注のTricker'sを買いました。(この時、革靴デビューとなる)

その後も、事あるごとにWESCOにオーダーしに行こうと思ったり、某古着屋でちょっとしたB品(ステッチが多かったり、少しズレてたりの品)をwescoの工場で買い付け販売してるお店を見つけ買うか悩んだり…。(サイズ無くて断念したけど)

Nick's Bootsはご縁有って安くで買えた事はあるけど…未だwescoに足を入れた事がありませんw

最後に代表的な型で僕が欲しいモデル二足をご紹介

JOB MASTER

先ずは。の一足目は既製品でも良いとして、2足目はオーダーしたいですね。
こうやってみると、THEアメカジなスタイルにしか合わない…?ってイメージを抱きがちですが案外、モードなスタイリングやストリートなスタイリングにも使えるのがLogger Bootsの面白い所でもあります。

BOSS
ハーレーなどのバイク乗りの人に愛用されている事が多い"BOSS"。
バイクのギアペダルにも臆せず、雨風にも強く。万が一転倒した場合でも怪我を軽減できるほどの革のタフさ。
タウンユース使いで、ワイドパンツはもちろん。タイトなシルエットのパンツで合わせたり、夏場はショーツに合わせたりとこちらも幅広いスタイリング応用ができ、ハードだけど、ハード過ぎないスタイリングも楽しめるのでは。と思います。

この二足の型に関しては、履く人の個性を最大限引き出してくれるブーツ。といっても過言ではないのではないでしょうか。
特にWESCOのロッガー、エンジニアは、すっきりとしたトゥの形、既製品でもシャフトの長さが選べたりとその人の用途に応じて選べるのも魅力の一つではないでしょうか。

あなたのライフスタイルにあった、永く愛せる一足を探してみてはいかがでしょう。

より詳しい事はこちらでどうぞWESCO JAPAN




あー欲しいなー。

2016年4月6日水曜日

ファンタスティック・プラネットという映画

お花見シーズンも到来し、やっとで暖かくなってきましたが、皆さんいかがお過ごしですか?
ファッションシーンでは、16−17A/Wを最後にエディ・スリマンがデザイナーを辞任すると発表。お次のデザイナーは既に決まっているようで、エディ無き後のサンローランの動向(消費者の反応など)が気になる次第です。
それまでエディがサンローランで作りあげてきた世界観がどう変わるのか、もしくは変わらずに支え続けるのか…。
ケリングの経営にどう響くのか…。(こういうアパレル業界の経済動向を見るの好きです。w)
この件に関しての詳しいことはこちらどうそ

エディには今後とも面白い事をして世間を沸かすんだろな〜。って期待しかないですけどね!

前置きが長くすみませんがもう一件、ファッション関連の話題を…。
つい先日の4/2に神戸旧居留地に佇むオリエンタルホテルに、フロム ウェア アイ スタンドの2号店がオープンしたようですね。旅行先でいざという時にこういう売店があると嬉しいものです。正に”最高の売店”って見出しがピッタシ‼︎



さて…本題にはいります。今回レコメンするのは映画!
昨日、Twitterでたまたま某アーティストがGYAO!でファンタスティック・プラネットが無料視聴できる。というツイートをしておりまして、ちゃんと観た事がない筆者にとって『これはまたとないチャンス!!』と言う事で、今朝ベットでiPhone片手に観ましたw
(本当は昨夜観ようと思ってたけど、思いつきで京都に行って想定外に帰りが遅くなったからw)

このファンタスティック・プラネットのDVDを買おうと思い何度もAmazonで見ているのですが、まぁまぁ高い‼︎(今見ると、2016年6月3日発売商品だと新品でお手ごろ価格なので、これが出たら買いますw)

こちらの映画、禁断の惑星 TABOO1 feat.志人で音源、PV共にサンプリングされており、より有名になりました(PVでは、56年のアメリカSF映画”禁断の惑星”のシーンも使用されております)

現在の情勢に物申す。と云わんばかりに、言葉巧みな高速ラップを操り、志人が訴えかけてくるリリックは意味深ですので、聞いた事のない方は是非。(あんだけ早口でよく噛まないな)

こちらの映画、73年製作のフランスアニメーション映画で原作は、ステファン。ウルのSF小説オム族がいっぱい
先に言っときますが、中々なオカルト映画です。アニメでここまでオカルトな物を見たのは初めてかもしれません。ホラーとはまた違った怖さがこの映画にはあります。

簡単にストーリを説明しますと、巨大な種族ドラーグ族

見た目と裏腹に結構、残酷な種族ね。

小人のオム族
この手のひらに乗っかってる小さい人。


ファンタスティック・プラネット、の原題は、”La Planète sauvage”フランス語で未開の惑星を意味します。
ドラーグ族の子供たち、オム族の親子をオモチャにし遊んでいた時に母親が死んでしまい、一緒にいた子供(この時はまだ赤ん坊)だけが生き残り、ドラーグ族の子供たちはその状況を見て見ぬ振りをし、退散します。
そこに出くわしたドラーグ族の少女ライバに拾われ名前をテールと名付けられペットとして育てられます。(この時点で怖いわw)


あんまり細かく書くとネタバレしちゃうので書きませんが、巨人のドラーグ族は、オム族を奴隷というか…虫けらというか…終始、下等生物扱いしています。
そして、話が進むにつれドラーグ族により、オム族の抹殺計画が始まります…。

(下等生物とか、虫けらってフレーズ見るとフリーザ様が頭を過るのは私だけ…?)



この映画に出て来るサブキャラ?の可愛いさが見どころの一つと言えるのではないでしょうか。



読んでないから分からないけど、進撃の巨人の元ネタ。とも言われてるようですね。(最近…というか今日、今さっき暗殺教室のアニメを見だして結構おもろいやん。ってなったところですw)

フランス映画ではあるものの、チェコバスキアで製作され、最終仕上げはフランスで仕上がったという面白いサクセスストーリーもあり、そういう点も面白いです。(下記、Wikipediaより)

1968年プラハの春の後、政府はイデオロギー的な規律と適切な闘争性を含んだ反資本主義・反帝国主義を映像作品に求め、監督や芸術家と対立した。1968年からトルンカのスタジオで製作が開始された『ファンタスティック・プラネット』の製作は長期にわたり、1973年に監督のルネ・ラルーの母国であるフランスで公開された。1968年8月のソビエト連邦によるチェコスロバキア侵入によって国内の民族意識は高揚し、作品に携わる唯一の外国人スタッフであるラルーの降板が持ち上がった。ラルーは監督を続けたが、作品の内容がソ連による抑圧を想起させると政府から圧力がかかり、ラルーはフランスに帰国して作品を完成させる


宮崎駿監督の”風の谷のナウシカ”の巨大生物の元ネタでもあるとか(下記、Wikipediaより)

宮崎駿は本作を鑑賞した際「ヒエロニムス・ボッシュの絵みたいな」「美しくもおぞましい」キリスト教ベースの美術に辟易しつつも「面白い」と思い、翻って風土を念頭におかない作品を描く通俗的な日本のアニメの現状を、「美術が不在」と言う表現で反省している



この作品が、日本のアニメーションシーンにもたらした影響は絶大なものである。とういうことは間違いないです。


ヒエロニムス・ボッシュ



このティーシャツ…欲しい。。

見るも見ないもあなたの自由です。
見てからの苦情は一切受け付けませんのであしからずw

観たい方は下のリンクからもいけるようにしときますね(無料公開は、4月の半ばくらいまでみたい)