Translate

ラベル paris の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル paris の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年6月5日日曜日

Bistenという旅に至福の時を与えてくれるトランクケース

前回は2週間ぶりの更新になってしまったので、今回は通常通りの週1更新で…笑


今回のテーマはLOUIS VUITTON

一言にルイ・ヴィトンと一言に言っても、1998年よりマーク・ジェイコブスによるレディトゥウェアラインの誕生。現在は、モード界を牽引する二人。
ニコラ・ゲスキエール(ウィメンズライン)キム・ジョーンズ(メンズライン)が担当し、モード界を賑わしています。

とまぁ、全てを紹介するとなると、なかなか大変なので今回はルイ・ヴィトン誕生のキッカケともなった。旅行用トランクにフューチャーしてなるべく簡素に書いていきます。笑


先ずは創始者について簡単に…


Louis Vuittonという男

創始者ルイ・ヴィトンが誕生したのは1821年のフランス。(日本だと江戸時代ですね)

木工製造を生業とする家庭にて、養母に育てられてたルイ・ヴィトンは、養母との折り合いが悪くなり、1835年、14歳の時に家を飛び出します。
行く先も無く放浪し続けていたルイ・ヴィトンは家を飛び出した2年後(1837年)に
パリにたどり着きます。

そして、辿り着いた地。パリにて家業であった木工製造の知識を活かし、レイティエ・アンバルール(荷造り用木箱製造兼荷造り職人)の見習いとして働き始めます。

1854年、彼が33歳の時に結婚と共に独立。世界初の旅行鞄専門店を開業。
馬車に適した丸いものが主流だった時代に、上積みできる平らなトランクを考案。
これが、BistenAlzerの誕生のキッカケとなります。




ざっくりと、ビステン、アルゼールの違いを説明すると…
ビステンは、アルゼールに比べ、少し厚さが薄めの作り
アルゼールの最大の特徴は、取り出し式の中トレーが付いていることです。

(写真はアルゼール)



話を戻しまして、当時トランクケースに用いられる事がおおかった豚革ではなく、
軽量で生地に防水加工を施したキャンバス地グリ・トリアノン・キャンバス、
レイエ・キャンバスを考案。
船旅が主流であった当時、計算されつくした頑丈な作り、防水加工施した
キャンバス地の為、海水がかかっても中の荷物が濡れない。といった点が評価され、大反響を呼びました。

その評判が功を来し、ヨーロッパ中の王族からのオーダーが殺到。この一件でルイ・ヴィトンの名声は一気に高まります。


グリ・トリアノン・キャンバス


レイエ・キャンバス


息子であり、2代目であるGEORGES VUITTON(ジョルジュ・ヴィトン)
により1888年ダミエ・キャンバスを発表。商標登録商品として世に放たれます。
(グリ・トリアノン・キャンバス、レイエ・キャンバスに 模倣商品が出回るようになったため生み出されと言われています。)

ちなみにダミエは、日本の市松模様をヒントに考案したそう。
市松模様とは…江戸時代の歌舞伎役者、初代佐野川一抹が”心中万年草”という舞台で白と紺の正方形を交互に配した袴にて登場。その後、人気を博し着物の柄として流行しました。

歌舞伎が主流であったこの時代、様々な着物の柄が歌舞伎からきているそうですよ。
(いつの時代も有名人が着ると流行るもんだなって関心します)

いつみても市松模様とは粋な柄。





話を戻しまして…1896年に模造品の横行が原因でダミエは姿を消します。
(1996年にモノグラム100周年を記念し、マーク・ジェイコブスにより限定復刻。その後、万を持して復活します。)
このダミエが姿を消して時を同じく、かの有名なモノグラムが誕生します。





モノグラム誕生の理由はすでにお分かりかと思いますが、模造品との戦いの末に生まれた模様。こちらも日本の家紋をヒントに作られたと言われています。
もちろんこの時代に今のようなプリント技術などはなく、職人が一つ一つ手書きで仕上げていたそう。

2代目であるジョルジュ・ヴィトンは1890年にはボワティエと呼ばれる真鍮で出来た箱に5枚の羽を組み込んだ、決してこじ開けるこの出来ない錠前を発明し特許も取得。





初代の考案した完璧なフォルムのトランクケース。

























2代目によるブランドの顔となる模様、そ顧客の荷物を絶対的に護る錠前の考案。

今もなお進化し続けるトランクケース。




ちなみにヴィトンのトランクケースには荷物の詰め方もあるそうで、それを実践すれば小さめのサイズのトランクケースでも1週間分の荷物をパッキングできるんだとか。


トランクケースのブランドとして誕生し、今日では日常に寄り添う鞄やウェアまでも発信しているルイ・ヴィトン
創始者もここまで大きくなるとは思っていなかったのでは?

時代に寄り添うものを生み出し、持つ人のことを考え作られているものとは永久不滅ではないでしょうか

価値のあるものは値段が高い。けど、それ価格以上の価値がそのものには詰まっている。
このことを忘れずに色々なものと向き合っていきたいものです。

  


   


2016年5月27日金曜日

Jhon Lobbという革靴

更新が大分遅れていましました…。
言い訳は…書くのがめんどくさいので飛ばします笑

さてさて、今回はまたです。
僕の中で世界最高峰のJHON LOBBです。

本国でビスポークして3〜5年は掛かると言われているJHON LOBBデス。


ため息がでるほどかっこいいJHON LOBBです。


妖美であり華やかなレッドソールといえばルブタン。


優しさに包まれたような山吹色(ほ黄色か)の箱といえばロブ




んーーーーー。本題に入ろう。



ジョン・ロブは1829年英国コーンウォール州の農家の家に生まれます。

ジョン・ロブが12歳の時、ロバから落ち足を骨折。その後の始末が甘かったために、生涯片足が不自由となります。
実家の農作業を手伝う事が困難となったジョン・ロブは、地元の靴職人に弟子入りする事を
決意。
ジョン・ロブと靴との相性がよほど良かったのか、たちまち師事していた親方に負けぬほどの
腕前を身につけ、地元でも有名な靴職人となります。


1851年、ジョン・ロブが21歳の時、世界初となる万博博覧会がロンドンのハイドパークで開催。
このイベントが開催されていた当時のイギリスは、産業資本主義の絶頂期であり、この博覧会を目の当たりにした青年ジョン・ロブは、世界に旅立ちたい。という目標を掲げます。

その後すぐに地元であるコーンウォールからイギリスの首都ロンドンを目指す事を決意。
その目的は、当時ロンドン一と言われていたセント・ジェイムズ街のシューメイカー”トマス”
弟子入りすることでした。

ロンドンに到着し、ジョン・ロブは、”トマス”のもとを訪れ、弟子入りを願うもあっさりと
断られます。
色々と考えた結果、当時ゴールド・ラッシュに沸いていたオーストラリアに渡り、人生の転換をはかります。

オーストラリアに渡ったジョン・ロブは靴作りにおいて絶対的な自信を持っていたので、
金鉱堀りの男たちに向けて屈強なブーツを作り始めます。
オーストラリアに渡り手がけていたブーツはたちまち大当たり!
靴の頑丈さはもちろん。頭の切れるジョン・ロブは、一風変わった細工をブーツに施します。

それは、”金魂を隠せるように中空化にしたヒール”でした。
この時代にこういった仕掛けが施されたブーツなど当然、他には無かったでしょう。
ジョン・ロブの秀才な発想に功をきたし1858年、シドニーにて”JHON LOBB"初となるショップをオープンさせます。

その後、ロンドンに戻った彼は、完成度の高い靴を作ることに没頭し、1862年長年研究して完成
した作品のいくつかを英国万国博覧会に飾ると何と金賞を受賞。


翌年の1863年に、当時の英国皇太子に万国博覧会にて金賞を受賞したブーツを献上。
そのブーツの品質の高さを認められ、王室御用達の靴職人へと任命。(ジョン・ロブが34歳の時)


1866年にロンドンのリージェントストリート296番地に第1号店を創設。
一流のブーツ職人の地位を築きあげたジョン・ロブの噂を聞きつけた上流階級の人々が
次々に訪れ、ビスポーク受注者が殺到。
その後1895年ジョン・ロブが66歳の時、ロンドンにて没しますが、ロンドンでの成功を収め、
2代目の”WILLIAM LOBB"により1902年にパリ第一号店を出店。より幅広く世界にその名を轟かすことができました。

ちなみに、JHON LOBBの中で、不朽の名作と言われているWILLIAMLOPEZを作ったのも、2代目ウィリアム・ロブが考案したモデルです。

ちなみに名作モデルWILLIAMは、元々ビスポークから誕生したモデルで、
当時の英国ウィンザー公(エドワード8世)が自身の誂え靴としてオリジナルモンク
ストラップをJHON LOBBにて依頼。当主であるウィリアム・ロブ自ら手掛ることに。
ウィンザー公の希望を基に、飛行士の靴をベースにサドル部分に2つのバックルを固定させるダブルモンクストラップスタイルを用いました。
このバックルは小ぶりでスマートなデザインとし完成させたの靴がウィリアム。

その後ダブルモンクは、これまでの常識を覆し、新たなるスタイルの靴として一気に
有名になったモデル。としての物語がある偉大なる靴です。




1950年に誕生したLOPEZ。
JHON LOBBの中でも一足は持っておきたいローファー。
他ブランドではどうしても無骨になりがちなモカ部分をJHON LOBBの職人達はシャープに仕上げ、上品な佇まいのローファーに仕上げてしまうのです。




1976年、ジョンロブはエルメスグループの傘下となり、ロンドンのビスポーク専門店John Lobb Ltd.だけは一族の手に残り、現在も独自に活動を続けています。
ちなみにエルメスは、消滅させてはならない。保護すべきである職人技術をエルメスグループに参入し、職人育成活動に励んでいるようです。)
それまで、限られた特権階級の人にしかビスポークを手がけていなかったようですが、1982年から既製靴を手掛け始めました。


では、なぜここまで綺麗な仕上げが出来るのか。
それは、創始者であるJHON LOBBが研究し、考案した190という工程から一足の靴が作られるからです。
現在では、機械の発達も進み効率よく生産ができる時代になりましたが、JHON LOBBでは、創業当時と変わらぬ製法、工程で職人さん達が手掛けているそうです。(ビスポークに関しては手作業で)


そして、顧客一人一人の足型は100年経過しても捨てられることがないといわれています。
いつの時代も顧客一人一人を大切にし、どれだけ便利な世の中になっても機械に頼らず
昔からの製法を守り続けている姿勢。これは本当にすごいと思います。

名声があるブランドであればあるほど、コストを下げて大量生産しリリース。その効果で会社の利益も上がる。という単純なシステムが現在の世間一般的な流れですが…
”JHON LOBB”はそういうことではない。質実剛健であり、顧客の満足を優先したものつくりをしている。
こういった姿勢のブランドは他にあるでしょうか?僕が思うに、指折り数えるほどしか無いのが事実だと思います。
材料費が上がる為に止むを得ず、販売価格上げるか、品質を下げて製法を変えてでも、今の販売価格を維持するのか。企業にとっては最大の悩みだと思います。

けれども品質を下げず、製法も変えず。販売価格は上がれど、納得のいく品を提供したい。そういった心意気や思い切りは本当にかっこいいと思います。(前々回の記事:CHROME HEARTS然り)



革靴ブランドで素敵なブランドは数あれど、これから先もこの職人魂が無くならない限り、JHON LOBBが革靴界の最高峰ではないかと。僕は思います。


2016年4月20日水曜日

Christian Louboutin というドレスシューズ

ドレスシューズ【dress shoes】


礼装用の靴。男性用の革靴や女性用のパンプスなど。
ー礼服に合わせるもの。
ー特別な日に履く靴。


はいっ!前回に引き続き"靴"です。
同じ靴と言っても、前回の靴は"デイリーユース"即ち日常生活に適した靴。
で、今回は"ドレスシューズ"特別な日や特別な場所に適した靴。のことです。

といっても、現在では、ドレスシューズのボーダーラインも無く、普段使いとしても親しまれているように思います。
それが駄目!と言いたいワケではないのですが、ドレスシューズは元々、耐久性の弱く儚いものです。
そこを理解せず、普段使いし、酷使されているドレスシューズを見ると、靴が可哀想。と思ってしまいます。(あくまで個人的な感想)
デザイナーは、履く人の個性や美しさを引き出せるように。と、思いを込めてデザインし、それを職人さん達が受け継ぎ、強い意志のもとで作られているものばかりだと思います。

前置きが長くなりましたが…この前置き部分で先ず伝えたい事を汲み取ってもらえたら幸いです。

という事で、本編に参りましょう!
今回は、女性の憧れのシューズブランド"Christian Louboutin"にフューチャーしてお送りしていきマス!

Christian Louboutin


レッド・ソール”(深紅の靴底)この言葉を聞いたりこの色を施されている靴を見かけると、”ルブタン”を連想する方がほとんどではないでしょうか。
世界中の女性を虜にして止まないレッド・ソールのハイヒール。
”クリスチャン・ルブタン”

1992年設立のブランドで、各国のセレブ達が履いていたり、映画などにも使用されたり…がキッカケでここ日本でも人気を博すようになり随分経つように思います。(店舗も増えましたし)

では、レッド・ソールの誕生したきっかけを知っている人はどれくらいいるでしょう?
と、書いている本人も今回の記事を作るまでは知りませんでした。”Christian Louboutin”の靴を持っている人も、これから買おうと思っている人も…。
ちょっとしたブランドヒストリーを知ってから足を通すと、そのブランドに秘められた魅力を知ったり、ルブタンに対する愛情が増すのではないでしょうか。

先ずは簡単にデザイナーについて書いていこうと思います。
言わずと知れたデザイナー。クリスチャン・ルブタン氏は、フランスはパリの生まれ。
父親が家具職人で小さい時から物作りへの興味は強く、幼少期の頃より特に婦人靴にへの関心が有ったので学生中はショーガールの為のシューズデザインを描いていた事が多かったようです。

(この時のデザインについて、インタビューでの答えで気になった部分があったので)
下記一部引用↓
1950年代のアルフレッド・ヒッチコックが手掛けた映画『めまい』に登場する女性が履いていた靴にインスパイアされてデザインした。そして、その時に描いた靴のソールの角度を常に意識してデザインしている。

直筆のデザイン画(現在のものです)

学校を卒業した後も、靴のデザインへの飽くなき探究心は尽きる事が無かったようですが、ファッションへの関心はほとんど無く、ショーガールの為の靴を作りたかっただけだった。とこの時の事を公言しています。その後、パーティー等に参加しては自身のデザインした靴を試して欲しいと申し出るも金銭面の問題でほとんどの女性から断られていたそう。
1980年には自身の関心があるショーガールに触れ合う機会が多いパリの有名ミュージックホール”フォリー・ベルジェール”で働き、その2年後である1982年に当時、クリスチャン・ディオールでシューデザインをしていたシャルル・ジョルダンのもとで本格的な靴作りをスタート。その後も、シャネルイヴ・サン・ローランなどでインターンを経験。
1992年にルーヴル美術館近くのアーケイド"Galerie Vero-Dodat"にブティックをオープンし、ブランドの船出となります。


ルブタンが世界中で愛される理由

真っ先にあげられるのは”美しさ”だと思います。
ルブタンのヒールは彼の思う”女性を美しく魅せる為の角度や高さ”があり、それに伴いデザインし仕上げられている。
もちろん他のブランドも美しいヒールを出していますが、ルブタンが特別視され愛される理由のもう一つに、ヒールも”スニーカーを履いている時のような楽さ”が必要。と考え作られているからではないでしょうか。
これが実現出来たのもルブタン氏の過去の経験が活かされての事。

彼がフォリー・ベルジェールで仕事をしていた時に、ダンサーからカルパッチョの買い出しをよく頼まれていたそうで、食べるのかな?と思いきや、靴のつま先部分に白身魚を敷いてから履きショーに出る光景をよく目にしており、そこからのヒントでヒールにもクッションを用いるようにしたそう。その他にもこの時の経験は靴に活かされているのだとか。。


ちなみに、レッド・ソールの誕生についてなのですが、ルブタン氏は形や履き心地はもちろん。色にもこだわりが強く、イタリアの工場で最初に仕上がったデザインを見た時、ソールに色が付いていない事に物足りなさを感じ、その時に赤いマニキュアをソールに塗ったのが始まりで、あのレッド・ソールは誕生したそうです。


素材への妥協一切せず、今もなお職人による手作業で作らており、刺繍の施されているデザイン物などもハンドメイドでの仕上げとなっているそう。
まだまだ書きたい事はありますが、(アトリエのこだわりだったり、ビスポークの話とか…)かなり長引きそうなのでやめておきます。


高いもの良い。という考えは間違った価値観だと思いますが、ルブタンや前回の記事で紹介したWESCOに関しても値段以上の価値があると思います。
その魅力を生かすも殺すも持ち主次第です。
流行っているから良い。のでは無く、自分の価値観で品定めし、自分に似合う素敵な物を探してみてはいかがでしょう。
このブログは品定めのヒントになれば良いな〜。って考えながら書いてます。


Patti Smithが東京での朗読だけではなく、来阪しライブをすると知り、テンションあがりLIVE verをBGMに長々と書いてしまいましたが、お読みいただきありがとうございました!
また次週も適当に更新します笑