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2016年3月17日木曜日

COMME des GARÇONSという概念

はい。今回はタイトル通りCOMME des GARÇONSに着目点を置いてコラムです!
ってのも、2016/03/16でDOVER STREET MARKET GINZAが4周年を迎えるからでっす!
4年前の今日、DSMが日本で遂にオープン…この日を心待ちにしていた人も多いのではないでしょうか?(筆者はこの日を待ち焦がれていました)

さて。話をもどしまして、なぜ”COMME des GARÇONSという概念”というタイトルなの?って疑問に感じる方もいるかもしれないので、簡単に説明しますと…COMME des GARÇONS(以下:CDG)には、17のブランドがあるからです。(現在の主要ブランドの数です)それぞれのブランドに個性が有り、上手くカテゴライズが別れており、まさにライフスタイル特化型のブランド

CDGの代表といえば誰もが知っている川久保玲さん。

先ずは、川久保さんのプロフィールを超簡単に。
慶應義塾大学文学哲学科を卒業後、株式会社旭化成宣伝部に入社。3年で退職し、フリーランススタイリストとなる。


文字にして見るよりも、表にしたほうがわかりやすいかと思うので年表を作りました。(赤はウィメンズ、緑はメンズ、オレンジはユニセックス等)この年表を基に主要となる部分のみピックアップしてご紹介していきます。

画像をクリックすると、拡大してみれます。

COMME des GARÇONS

1969年から始まったCDG。川久保さんがスタイリストをしていた時”気に入る服がない”というところから全てが始まりました。
CDG立ち上げ当初は、自身で服を作り、お店に売り込み。アイビールックが隆盛の当時、川久保さんが作り出す服は相当アバンギャルドにみえたのではないでしょうか。
インディーズとしてブランドをスタートさせ、その4年後の73年には株式会社を設立。その2年後の75年には直営店を出店し、ショーも行う…。
服という媒体を”自己表現の場”のみならず、ビジネスとしても成功させる事を考えながらデザインをされていたからこその結果だと思います。
言葉でみると簡単そうにみえますが、このバランスが超難しい。

ちなみに、81年パリで最初のファッションショーを行った時のショーこそ物議を醸し出した”ボロルック””カラス族”と呼ばれた伝説のショーです。(僕が書くと長くなるので詳しい所まで書きませんw)

直営店の出店し、落ち着きだした頃合いなのでしょうか?ギャルソンの中でも最も古株なメンズライン、COMME des GARÇONS HOMMEの誕生です。


COMME des GARÇONS HOMME

GOOD SENCE GOOD QUALITYをキーワードにブラック、ネイビー、グレーを基調色にしたボックスシルエットのベーシックライン。81年当時は、DCブランド全盛で、派手なデザインが流行だったようで。つまりCDG HOMMEは真逆のアプローチを仕掛けたわけです。まさに逆転の発想。わかりやすくいうと、”長く着れるデザイン”といったところでしょうか。
2003年からは渡辺淳弥さんがデザイナーを務めており、渡辺スタイルで未だなお”長く着れるデザイン”を提案し続けています。



tricot COMME des GARÇONS

年表でも軽くふれておりますが、tricotは、フランス語で編み物、ニットを意味します。
ウィメンズのニットラインとして誕生し、当初はこちらも川久保さんがデザイナーを務めていましたが、87年から渡辺さん、02年からは栗原たおさんへと変わります。
87年のデザイナー交代の時には、日本国内のCDG社で一番の売り上げをたたきだす程のブランドに成長。今もなお、栗原さんによる可愛らしいデザインのニットがリリースされ続けています。

COMME des GARÇONS HOMME PLUS

先ほどのHOMMEとの大きな違いはHOMME PLUSの服はデザイン性の高い服というところだと思います。こちらは、84年の発足当初からパリコレで発表されているラインで、
紳士服の本質である基本を崩さず、異素材を用いたり、フリルやシフォン等のメンズには使われることのない素材を巧みに使われ、縮絨という特殊技法を他のラインに比べて特に用いた自由度の高い服が多いです。
ここで注目すべきポイントは、HOMMEとのすみ分けです。
HOMMEはベーシックなものを。HOMME PLUSはデザイン性が高いものを。これでどちらのニーズにも応える事ができます。これでビジネスとしてのバランスも保ちつつ、表現
したい事をこの時から発信し続けているわけです。


85年〜93年までの年表

COMME des GARÇONS HOMME DEUX

古き良き日本らしさ、洋服文化が入ってきた明治時代以降の粋な美学と、日本生産の素晴らしさを盛り込んだスーツラインで、西洋でカッコイイとされている逆三角形とは違い、ウエストの絞りはゆるく全体的にゆったりとしたデザインが特徴。
”背広にも遊び心を”と言わんばかりのアプローチでデイリーウエアにも取り入れやすく、ビジネスにも使えるのがHOMME DEUXの特徴ではないでしょうか。
今もなお、シャツ、ニット、ネクタイをリリースしており、ビジネスの場でも遊び心を忘れずに…といったアプローチに粋を感じます


Six Sense Magazine創刊



Vol.1~Vol.8までリリースされているCDG発のフリーペーパー。未だなおファンの間で人気で高値で取引されています。このマガジンのすごいところは、フリーでも抜かり無い作り込みの凄さだと思います。カメラマンにもこだわり、モデルにもこだわり…。
川久保さんのものつくりの一つ一つへのコダワリがヒシヒシと伝わってきます。。

COMME des GARÇONS 青山店



89年の青山店リニューアル後の写真です。
店舗のデザイン案は基本的に川久保さんが手がけている。と聞いた事があります。
東京に遊びに行った際は、必ず青山店に足を運んでますね。いつ見ても圧巻される外観、中に入れば迷路のような作り。でも無駄の無いレイアウトに空間使い。
ちなみに二枚目の写真は昨年のクリスマス時のデコレーションです。(この時
タイミングよく生でみれた)


6.1 THE MEN

COMME des GARÇONSとYOHJI YAMAMOTOによる合同ランウェイ。

日本を代表する二大ブランドのコラボランウェイってだけでもすごいことですが、ショーに出た人たちも凄く、俳優のデニス・ホッパー、サックスプレイヤーのジョン・ルーリー、日本からは高橋幸宏さん、細野晴巨さん…とまぁ大御所だらけ。
今でこそ俳優さん等が出るのも多ですが、二人が始めたのがこの走りでは?と思います。

JYUNYA WATANABE COMME des GARÇONS

90年代。ギャルソンにとって最大の変革は川久保さん以外のデザイナーを設ける試みではないかと思います。既存のブランドとは違ったコンセプトのブランドを新たに発足する企画が上がり、当時トリコのパタンナーを務めていた渡辺淳弥さんが名乗りを上げたそうです。

構築的な衣類。パターンの既成概念に挑戦し、創造性を富んだ服作り。中でもデニムでのコレクションはデニムの可能性を拡げた。と評価が高いです。
近年では、既存のデザインを再構築したデザインが多く、服の可能性をさらに拡げています。
売り上げ予算などは川久保さんが設けるものの、それ以外のブランド運営(納期時期や、細かいスケジュールなど)には一切の口出しをしないそうです。
お互い信頼できるからこそなせる事。でもあると思いますが、自分のブランドなのだから主体性を貫くべきという考えが川久保さんの中にはあるからなのかもしれません。


COMME des GARÇONS SHIRTS

シャツが主体のブランド。フランスで生産し、ヨーロッパ圏でギャルソンが安価に買えるラインとして登場。シャツに特化したラインのため、シャツの可能性や奥行きを拡げたラインでもある。といっても過言ではありません。
近年ではビジネス戦略のため、パンツ、ジャケット、バッグ、ハットやシューズと全身コーディネートも可能なラインとなっています。
このSHIRTSの面白いところは、CDGのどのラインでも”シャツ”というアイテムがあっても全くもって違う提案でリリースされている事ではないでしょうか。一言でCDG SHIRTSを表現するならば、”爽やか”ではないかと思います。白やサックス系の色味を主体に作られるこちらのライン。この色味展開ひとつでみても、HOMMEにもHOMME PLUS、 HOMME DEUX、JYUNYAの不思議とどれにも当てはまりません。


94年〜03年までの年表

COMME des GARÇONS JYUNYA WATANABE MAN

名前のままで、淳弥さんのメンズラインですw
ただウィメンズとの大きな違いは服作りの取り組み方。ではないでしょうか。
JYUNYA MANの服は、伝統的な衣類を再構築、昨今では当たり前となっている
”ダブルネーム”による服作りの先駆けのブランドでもあります。
有名なものでいえばLevis×JYUNYA MANでしょうか。ベーシックを主体にしているHOMMEとの差別化、自身の会社にあるブランドでの喰い合いをせず、お互いのブランドの良さを引き立てあう関係性がここでも上手く取り入れられています。

PLAY COMME des GARÇONS

2000年以降の最大の売り上げを作っているであろうPLAY。ベーシックなアイテムのみに商品構成を絞り、安価で手が出しやすく、どんな服にも合わせれるアイテム。
昨今では、インバウンド(特に中国人旅行者)によるお土産用にと大量に買って帰る光景をよく目にします。PLAY BOXというショップインショップスタイルの斬新さでも有名。

こういった誰もが手に取りやすいキャラクターブランドの発足や日常に取り入れやすいラインナップのみに絞っての展開。それによって利益を生み出し、他の運営資金に回すというビジネスのクリエイション力も本当に凄いと思います!!

10 corso como COMME des GARÇONS


イタリアはミラノにある10 corso comoというセレクトショップとのコラボレーションショップとして東京は表参道にてオープン。
CDGブランド以外には、アレキサンダー マックイーン、メゾン マルタン マルジェラ、
バレンシアガ、アズディン アライア、ヴィヴィアン・ウエストウッドなどを展開し、コラボレーションアイテムなども展開。
2012年のDOVER STREET MARKET GINZAの誕生と同時期に入れ替わるかのように閉店。
引き算によるビジネス戦略。ここでも、川久保さんの凄さが垣間見えます。


04年〜08年までの年表


DOVER STREET MARKET


CDG イギリス本社によるセレクトショップでロンドンに開店。
新進気鋭なデザイナーの服を取り扱ったり、有名無名関係なしに様々なアーティストにスペースを与え、お店のディスプレイや什器等を手掛けてもらうという今までにないショップ作りを提案。
今年の3月19日には、バーバリーの元本店にてリニューアルオープンを予定。

COMME des GARÇONS Guerrilla Store

今までCDGを売ったことの無い地域にGuerrilla Storeとして期間限定オープンし。経営を異業種オーナーに託す。このプロジェクトの面白いところは、ギャルソン側は店舗を作らずオーナー達に与えられるのはゲリラストアのルールのみ
商品はアーカイブを展開し、在庫が無くなると共にGurrilla Storeは閉店。
展開場所として、シンガポールの元女子校の理科実験室。ベルリン、バルセロナなどの都市で展開。
この試みにより過去の在庫消化、新規顧客の獲得や出店国候補のリサーチなどもできたのでは無いかと思います。
シンガポールでのオーナーを務めたテセウス・チャン(Theseus Chan)ヴェルク(WERK)というビジュアル誌も発行。お値段は少々しますが、1点1点手作りでとてもかっこいいです!(画像のWERKは所有しているものです)


tao COMME des GARÇONS


栗原たおさんによるブランド。
女の子の可愛らしさをふんだんに盛り込んだかのような服作り、他のラインとは違い白を基調に独特なパターンで白の奥行き深さを最大限に引き出しているブランド。




GANRYU

丸龍文人さんによるブランド。今までになかったストリート要素の強いライン。
サルエルパンツが毎シーズン出ており、CDG内でも比較的若年層向けを狙ってのデザインかと思います。
筆者のようにストリートブランド出身の人間には懐かしくもあり、新鮮さもあるブランドに思えますw
PLAYほど、間口が広すぎない所が、またいいのかもしれません。

BLACK COMME des GARÇONS

その名の通り、黒を基調としたブランド。当初から期間を定めずに展開する期間限定ブランドとして発足。アーカイブでも人気のあったパターンを使用し、安価な価格帯で販売。
ギャルソンを初めて買う人にも買いやすい為、BLACKからギャルソンファンになる人も多かったのではないかと思います。従来のファンの中にも懐かしさから購入者が増え、新規だけでなく既存のファンまでにも愛されるブランドへと成長。


09年〜2013年までの年表

ザーッと年表を見てもらうとお分かりいただけるかと思うのですが、ゲリラストアの企画以降くらいからアジア圏での出店も目立ち始め、日本国内でも09年からPLAY BOXの出店が目立ち始めます。ちょうど、このくらいの頃からアジア圏の旅行客が徐々に増え始め、PLAYの売り上げ増加が見込めると考えたのでは。と思います。
特にPLAY BOXは店舗の作りが簡素に出来ている為、恐らく低コストで設置も簡単。と出店しやすさなどの計算もされて、あのスタイルなのかなと。(それでもオシャレですからね)

そして、2012年DOVER STREET MARKET GINZA オープン
銀座コマツ店西館全店舗での出店。というのもギャルソンらしくてカッコイイなと思いました。この出店の為の資金作りとしても、この近年の間に大胆にお店を増やしていたのかもしれません。

デザイナー業を務めながら、会社の運営もしている方は今となっては珍しくも無いですが、時には大胆に、そして時には引き算をし会社としてのバランスを保つ。
ブランドも偏り過ぎないようにバランスを保ちながら、数字が取れる所で取りながら資金調達をし、今後の企画に回す。
”ビジネスもアートですから”といつかのインタビューでこの言っていましたが、川久保さんは正にこの言葉があてはまる人だとおもいます。


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