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2016年4月25日月曜日

CHROME HEARTSという唯一無二のブランド

artisan

ar・ti・san /άɚṭəznὰːtɪzˈæn/
ー他の人には真似出来ない技術を持った人

ー価格は高価だが、品質の高いものを作る人

ー長く愛せる一点を作り出す人

時計の最高峰と言えば、時計のスタンダードスペックの生みの親であるPATEK PHILIPPEから1932年に誕生したカラトラバ
それまで同ブランドの定番として手掛けてきた複雑時計の機能を職人達が削ぎ落とし、よりシンプルに…これ以上、足す事も引くも事も不要な仕上がりに。時計好きを唸らせる一品。

ドレスシューズの最高峰と言えば、JHON LOBBの”ウィリアム”。
1945年、同ブランドにて当時の英国王の為にビスポークとして生みだされたのが”ダブルモンク”という型。 「JHON LOBBは靴を作っているのではない。JHON LOBBを創っているのだ」とジョンロブにて働く職人が放った言葉に嘘偽りは無く一点一点、優秀の美を送るべき作品を世に放っているJOHN LOBB。

帽子の最高峰と言えば、Borsalino”シナトラ”
イタリアでは、帽子が一つの財産として認められ、相続の対象となるほど価値あるものであると言われています。 手触りは柔らかいのに、型崩れしづらい。紳士の象徴として愛されるボルサリーノのハット。時代の流れに従い、機械を導入しても、職人の手による作業が加わっているの今も昔もは変わらず。無論、素材へのこだわりも変わらず。
一度手にすると、ボルサリーノは帽子界の頂点に君臨し続ける存在であるのは言わずもがな、おわかりいただけることでしょう。


自分が思う最高峰を上記で書いてみましたが、分野はそれぞれ違えど、全てに共通する部分があります。
既にお分かりの方も多いかと思いますが、全て職人の手が。即ち、各々のプロフェッショナルが手がけているという事。そして、”持ち主に生涯寄り添ってくれる最高の一品”である。と言う事です。

レザー、シルバーアクセサリーの最高峰のブランドはどこか。そう問われた際に誰もが思い浮かぶブランドと言えば、"CHROME HEARTS"ではないでしょうか。

クールであり、時にセクシー。
クラシカルであり、時にアグレッシブ
高尚であり、時に遊び心をくすぐられ

相反するような語義や形容詞が思いつくブランドも少ないのではないかと思います。

かなり前置きが長くなりましたが、今回はクロムハーツにフューチャーしてズラズラーと書いていこうと思います。


CHROME HEARTSというブランド

という事で先ずは、ブランドの誕生までの経緯を簡単に書いていこうと思います。
1970年代末、ニューヨークで生活していた創始者であるリチャード・スターク(Richard Stark)は、グレイハウンド・バスに乗りカリフォルニアへと移住し、大工の見習いとして建築を学び始めます。この建築会社では、別事業で皮革輸入も行っており、リチャードは大工業と同じく皮革輸入にも携わりはじめます。

その後、大工業を辞め、皮革輸入会社一本に絞り、営業に転身する事を決意。
元々、バイクに乗る事が趣味であったリチャードは、自身のハーレーで全米を巡回しながら営業をしている時に、同じ皮革製品のセールスをしていたジョン・バウマンと知り合う。 その後、自分たちやバイカー仲間が履く最高のレザーパンツを作ろうと、リチャードとジョンは意気投合。

当時の市場では、上質な素材を用いた高い技術での加工といった職人気質なプロダクトは求められておらず、粗悪で安価な素材やプロダクトが求められている事が多かったそう。
そんな中で、二人は最高級な素材を仕入れ、レザーパンツを作り始めます

二人は、既存のバイクファッションに飽きたらず、自分たちが身につけるアクセサリーやバイクの装飾品を求め始め、彫金職人であるレナード・カムホートを仲間に取り組む。

そして、かの有名なジッパーやボタン部分の素材をニッケルではなく、シルバーを用いたライダースジャケットやレザーパンツ。シルバーアクセサリーが誕生します。

1988年に産声を上げたクロムハーツ。
ブランド設立と同年にアメリカで撮影されたB級ゾンビ映画Chopper Chicks in Zombietown(本題:CHROME HEARTS)ダブルのライダースジャケットが衣装提供として使用されており、その映画をたまたま観た元セックス・ピストルズ、ギタリストのスティーブ・ジョーンズがライダーズを気に入り、それがクロムハーツのものだと知ったスティーブはクロムハーツのライダースを入手。
それが火種となり、ロサンゼルスのカリスマ的セレクトショップが取り扱いを始め、感度の高い人々の間での口コミから爆発的な人気を集め、瞬く間に世界中で注目されるブランドとなります。

今日の時代のように、インターネットなどの情報発信の場は無く、情報源は雑誌や口コミが主流の時代。
そんな時代に世界中に知れ渡るまで、時間が掛からなかったのは、それだけ品質が高く、デザイン性も高かったから。といえるでしょう。


ちなみにこちらの"Chome Hearts"という映画、Chopper Chicks in Zombietownというタイトルが一人歩きし、こちらの呼び名の方が有名となり、後に本編でもタイトルが変更されております。笑
気になる内容は…とある町で、鉱山発掘の労働奴隷させられる人々を殺しては、頭に電池?みたいな装置を埋め込み蘇生させ、ゾンビにしてこき使っていたが、そのゾンビ達が突然町を襲いだす。
そこに"Sluts"という女性バイカー集団が、アメリカツーリングツアー中に立ち寄り、ゾンビ達と戦う…ざっくりお伝えするとそんな内容でした。(映画のレビューになりそうなのでこの辺で止めときます)

このSlutsというバイカー集団こそがあのクロムハーツが衣装提供したライダースを着ているワケなのですが…ディテール、シルエット、どこをとってもカッコイイ!!先入観無しでカッコイイライダース。。

他にもカッコイイと思うライダースジャケットのブランドは有りますし、欲しいなぁ…と思うレイダースも有りますが、やっぱりクロムのライダースが一番欲しい!!そしてカッコイイ!!と改めて確信しました。(欲しい‼︎って思うポイントを書き出すと、長くなりそうなので割愛します)


話を戻しまして、日本国内にて初めての正規取扱店として取り扱いを始めたのは1990年、インテレクチュアルギャラリーだったようです。(2012年には取り扱いを終了。)

その翌年91年にはギャルソン青山でも取り扱い。ギャルソンといえば、クロム・デ・ギャルソンなんてのもありましたね(日本にクロムハーツを仕入れたには、川久保さんとの噂も有りますが、真相は…僕には分かりません。)
ボタンにクロムハーツのシルバーを用いた逸品。。現在では、DSMにてクロムハーツ(主にシルバーアクセサリー)を展開してます。(2014年にDSMGINZAに行った時点での話)




あまり長々と書いたところで、そのブランドの魅力が伝わると思わないのであまり長く書きたくないのですが…好きなものについては、ついつい書いてしまう。。


ハリウッドにあるアイスクリーム工場を改装したファクトリー。
ここでは、レザー、シルバー、ウッド(家具など)、ファブリックの全てのセクションの工房があり、アトリエがあり。製品の企画、制作の全てがここで行われているそう。
いわば、クロムハーツの核となる場所。
なにより凄いのは、クロムハーツの商品は外部発注をせず、全て自社工場にて各分野でスペシャリストな職人が手掛けている。
そして、リチャード氏の目の届く範囲で作られ、無理のない生産を行っている。
ということです。ここまで徹底して作っているのも、リチャード氏自身が大工として養ってきた経験が生きてこそではないでしょうか。
現在でも、製品化する前のサンプルをリチャード氏が確認し、OKが出た作品だけが世界のクロムハーツショップに並んでいます。

このこだわりは店舗作りにも及んでおり、什器はもちろん、ドアノブ等の細かいディテール部分にはシルバーを使用。とぬかりなく。
什器に使われる木材は、通常では家具には使用されることも少なく、人力で運ぶには困難で、熟練した職人で無ければ扱う事が難しいと言われているエボニー材(黒檀)を使用。
これら全ても、もちろん同じファクトリー内で作っており、新規店舗が出来るとなれば、世界中のどこにでも店舗制作用の職人チームがスケルトン状態の店舗に予めファクトリーで製作した什器等を持ち込み、細かい部分はその場で制作し、はめ込んでいく。

一点ずつ手での削り出しの為、階段手すりの支柱などもよく見ると一本ずつ仕上がりが異なる一点物。
手作業によるものならではの暖かみが、クロムハーツの商品や店舗の什器一つ一つにあるように思います。














クロムハーツというブランド。たくさん付けている人をよく見かけます。(別にそれ自体が悪い。)と言ってるワケではないのですが、一つでも存在感の強いブランド。
ならばさりげなく、一つ二つだけを身につける方が、喧嘩せずにそれぞれの個性が際立ち格好良さが引き立つんじゃないかな?と思います。

今日はこれとこれにしよう。明日はこれとこれ…など、たくさん持っているならばその日の気分で身につけるものを選ぶ楽しみが出来るとも思います。


最後に職人さんが手がけるもの。どれをとってもそうですが、長く愛せるものである事を忘れないであげてください。持ち主がケアをしてあげたり、大切に扱ってあげれば、本当に長く寄り添ってくれるものたちばかりです。
そして、長年使い込んで、あなただけの逸品に仕上げてみてはいかがでしょう。

まだまだ書きたい事がありますが、かなり長くなるのでやめときます。笑





あー…クロムのライダース欲しいっ!!一
個大きい目標クリアーした時に買おう!!その為にもがんばろー!!!


2016年3月17日木曜日

COMME des GARÇONSという概念

はい。今回はタイトル通りCOMME des GARÇONSに着目点を置いてコラムです!
ってのも、2016/03/16でDOVER STREET MARKET GINZAが4周年を迎えるからでっす!
4年前の今日、DSMが日本で遂にオープン…この日を心待ちにしていた人も多いのではないでしょうか?(筆者はこの日を待ち焦がれていました)

さて。話をもどしまして、なぜ”COMME des GARÇONSという概念”というタイトルなの?って疑問に感じる方もいるかもしれないので、簡単に説明しますと…COMME des GARÇONS(以下:CDG)には、17のブランドがあるからです。(現在の主要ブランドの数です)それぞれのブランドに個性が有り、上手くカテゴライズが別れており、まさにライフスタイル特化型のブランド

CDGの代表といえば誰もが知っている川久保玲さん。

先ずは、川久保さんのプロフィールを超簡単に。
慶應義塾大学文学哲学科を卒業後、株式会社旭化成宣伝部に入社。3年で退職し、フリーランススタイリストとなる。


文字にして見るよりも、表にしたほうがわかりやすいかと思うので年表を作りました。(赤はウィメンズ、緑はメンズ、オレンジはユニセックス等)この年表を基に主要となる部分のみピックアップしてご紹介していきます。

画像をクリックすると、拡大してみれます。

COMME des GARÇONS

1969年から始まったCDG。川久保さんがスタイリストをしていた時”気に入る服がない”というところから全てが始まりました。
CDG立ち上げ当初は、自身で服を作り、お店に売り込み。アイビールックが隆盛の当時、川久保さんが作り出す服は相当アバンギャルドにみえたのではないでしょうか。
インディーズとしてブランドをスタートさせ、その4年後の73年には株式会社を設立。その2年後の75年には直営店を出店し、ショーも行う…。
服という媒体を”自己表現の場”のみならず、ビジネスとしても成功させる事を考えながらデザインをされていたからこその結果だと思います。
言葉でみると簡単そうにみえますが、このバランスが超難しい。

ちなみに、81年パリで最初のファッションショーを行った時のショーこそ物議を醸し出した”ボロルック””カラス族”と呼ばれた伝説のショーです。(僕が書くと長くなるので詳しい所まで書きませんw)

直営店の出店し、落ち着きだした頃合いなのでしょうか?ギャルソンの中でも最も古株なメンズライン、COMME des GARÇONS HOMMEの誕生です。


COMME des GARÇONS HOMME

GOOD SENCE GOOD QUALITYをキーワードにブラック、ネイビー、グレーを基調色にしたボックスシルエットのベーシックライン。81年当時は、DCブランド全盛で、派手なデザインが流行だったようで。つまりCDG HOMMEは真逆のアプローチを仕掛けたわけです。まさに逆転の発想。わかりやすくいうと、”長く着れるデザイン”といったところでしょうか。
2003年からは渡辺淳弥さんがデザイナーを務めており、渡辺スタイルで未だなお”長く着れるデザイン”を提案し続けています。



tricot COMME des GARÇONS

年表でも軽くふれておりますが、tricotは、フランス語で編み物、ニットを意味します。
ウィメンズのニットラインとして誕生し、当初はこちらも川久保さんがデザイナーを務めていましたが、87年から渡辺さん、02年からは栗原たおさんへと変わります。
87年のデザイナー交代の時には、日本国内のCDG社で一番の売り上げをたたきだす程のブランドに成長。今もなお、栗原さんによる可愛らしいデザインのニットがリリースされ続けています。

COMME des GARÇONS HOMME PLUS

先ほどのHOMMEとの大きな違いはHOMME PLUSの服はデザイン性の高い服というところだと思います。こちらは、84年の発足当初からパリコレで発表されているラインで、
紳士服の本質である基本を崩さず、異素材を用いたり、フリルやシフォン等のメンズには使われることのない素材を巧みに使われ、縮絨という特殊技法を他のラインに比べて特に用いた自由度の高い服が多いです。
ここで注目すべきポイントは、HOMMEとのすみ分けです。
HOMMEはベーシックなものを。HOMME PLUSはデザイン性が高いものを。これでどちらのニーズにも応える事ができます。これでビジネスとしてのバランスも保ちつつ、表現
したい事をこの時から発信し続けているわけです。


85年〜93年までの年表

COMME des GARÇONS HOMME DEUX

古き良き日本らしさ、洋服文化が入ってきた明治時代以降の粋な美学と、日本生産の素晴らしさを盛り込んだスーツラインで、西洋でカッコイイとされている逆三角形とは違い、ウエストの絞りはゆるく全体的にゆったりとしたデザインが特徴。
”背広にも遊び心を”と言わんばかりのアプローチでデイリーウエアにも取り入れやすく、ビジネスにも使えるのがHOMME DEUXの特徴ではないでしょうか。
今もなお、シャツ、ニット、ネクタイをリリースしており、ビジネスの場でも遊び心を忘れずに…といったアプローチに粋を感じます


Six Sense Magazine創刊



Vol.1~Vol.8までリリースされているCDG発のフリーペーパー。未だなおファンの間で人気で高値で取引されています。このマガジンのすごいところは、フリーでも抜かり無い作り込みの凄さだと思います。カメラマンにもこだわり、モデルにもこだわり…。
川久保さんのものつくりの一つ一つへのコダワリがヒシヒシと伝わってきます。。

COMME des GARÇONS 青山店



89年の青山店リニューアル後の写真です。
店舗のデザイン案は基本的に川久保さんが手がけている。と聞いた事があります。
東京に遊びに行った際は、必ず青山店に足を運んでますね。いつ見ても圧巻される外観、中に入れば迷路のような作り。でも無駄の無いレイアウトに空間使い。
ちなみに二枚目の写真は昨年のクリスマス時のデコレーションです。(この時
タイミングよく生でみれた)


6.1 THE MEN

COMME des GARÇONSとYOHJI YAMAMOTOによる合同ランウェイ。

日本を代表する二大ブランドのコラボランウェイってだけでもすごいことですが、ショーに出た人たちも凄く、俳優のデニス・ホッパー、サックスプレイヤーのジョン・ルーリー、日本からは高橋幸宏さん、細野晴巨さん…とまぁ大御所だらけ。
今でこそ俳優さん等が出るのも多ですが、二人が始めたのがこの走りでは?と思います。

JYUNYA WATANABE COMME des GARÇONS

90年代。ギャルソンにとって最大の変革は川久保さん以外のデザイナーを設ける試みではないかと思います。既存のブランドとは違ったコンセプトのブランドを新たに発足する企画が上がり、当時トリコのパタンナーを務めていた渡辺淳弥さんが名乗りを上げたそうです。

構築的な衣類。パターンの既成概念に挑戦し、創造性を富んだ服作り。中でもデニムでのコレクションはデニムの可能性を拡げた。と評価が高いです。
近年では、既存のデザインを再構築したデザインが多く、服の可能性をさらに拡げています。
売り上げ予算などは川久保さんが設けるものの、それ以外のブランド運営(納期時期や、細かいスケジュールなど)には一切の口出しをしないそうです。
お互い信頼できるからこそなせる事。でもあると思いますが、自分のブランドなのだから主体性を貫くべきという考えが川久保さんの中にはあるからなのかもしれません。


COMME des GARÇONS SHIRTS

シャツが主体のブランド。フランスで生産し、ヨーロッパ圏でギャルソンが安価に買えるラインとして登場。シャツに特化したラインのため、シャツの可能性や奥行きを拡げたラインでもある。といっても過言ではありません。
近年ではビジネス戦略のため、パンツ、ジャケット、バッグ、ハットやシューズと全身コーディネートも可能なラインとなっています。
このSHIRTSの面白いところは、CDGのどのラインでも”シャツ”というアイテムがあっても全くもって違う提案でリリースされている事ではないでしょうか。一言でCDG SHIRTSを表現するならば、”爽やか”ではないかと思います。白やサックス系の色味を主体に作られるこちらのライン。この色味展開ひとつでみても、HOMMEにもHOMME PLUS、 HOMME DEUX、JYUNYAの不思議とどれにも当てはまりません。


94年〜03年までの年表

COMME des GARÇONS JYUNYA WATANABE MAN

名前のままで、淳弥さんのメンズラインですw
ただウィメンズとの大きな違いは服作りの取り組み方。ではないでしょうか。
JYUNYA MANの服は、伝統的な衣類を再構築、昨今では当たり前となっている
”ダブルネーム”による服作りの先駆けのブランドでもあります。
有名なものでいえばLevis×JYUNYA MANでしょうか。ベーシックを主体にしているHOMMEとの差別化、自身の会社にあるブランドでの喰い合いをせず、お互いのブランドの良さを引き立てあう関係性がここでも上手く取り入れられています。

PLAY COMME des GARÇONS

2000年以降の最大の売り上げを作っているであろうPLAY。ベーシックなアイテムのみに商品構成を絞り、安価で手が出しやすく、どんな服にも合わせれるアイテム。
昨今では、インバウンド(特に中国人旅行者)によるお土産用にと大量に買って帰る光景をよく目にします。PLAY BOXというショップインショップスタイルの斬新さでも有名。

こういった誰もが手に取りやすいキャラクターブランドの発足や日常に取り入れやすいラインナップのみに絞っての展開。それによって利益を生み出し、他の運営資金に回すというビジネスのクリエイション力も本当に凄いと思います!!

10 corso como COMME des GARÇONS


イタリアはミラノにある10 corso comoというセレクトショップとのコラボレーションショップとして東京は表参道にてオープン。
CDGブランド以外には、アレキサンダー マックイーン、メゾン マルタン マルジェラ、
バレンシアガ、アズディン アライア、ヴィヴィアン・ウエストウッドなどを展開し、コラボレーションアイテムなども展開。
2012年のDOVER STREET MARKET GINZAの誕生と同時期に入れ替わるかのように閉店。
引き算によるビジネス戦略。ここでも、川久保さんの凄さが垣間見えます。


04年〜08年までの年表


DOVER STREET MARKET


CDG イギリス本社によるセレクトショップでロンドンに開店。
新進気鋭なデザイナーの服を取り扱ったり、有名無名関係なしに様々なアーティストにスペースを与え、お店のディスプレイや什器等を手掛けてもらうという今までにないショップ作りを提案。
今年の3月19日には、バーバリーの元本店にてリニューアルオープンを予定。

COMME des GARÇONS Guerrilla Store

今までCDGを売ったことの無い地域にGuerrilla Storeとして期間限定オープンし。経営を異業種オーナーに託す。このプロジェクトの面白いところは、ギャルソン側は店舗を作らずオーナー達に与えられるのはゲリラストアのルールのみ
商品はアーカイブを展開し、在庫が無くなると共にGurrilla Storeは閉店。
展開場所として、シンガポールの元女子校の理科実験室。ベルリン、バルセロナなどの都市で展開。
この試みにより過去の在庫消化、新規顧客の獲得や出店国候補のリサーチなどもできたのでは無いかと思います。
シンガポールでのオーナーを務めたテセウス・チャン(Theseus Chan)ヴェルク(WERK)というビジュアル誌も発行。お値段は少々しますが、1点1点手作りでとてもかっこいいです!(画像のWERKは所有しているものです)


tao COMME des GARÇONS


栗原たおさんによるブランド。
女の子の可愛らしさをふんだんに盛り込んだかのような服作り、他のラインとは違い白を基調に独特なパターンで白の奥行き深さを最大限に引き出しているブランド。




GANRYU

丸龍文人さんによるブランド。今までになかったストリート要素の強いライン。
サルエルパンツが毎シーズン出ており、CDG内でも比較的若年層向けを狙ってのデザインかと思います。
筆者のようにストリートブランド出身の人間には懐かしくもあり、新鮮さもあるブランドに思えますw
PLAYほど、間口が広すぎない所が、またいいのかもしれません。

BLACK COMME des GARÇONS

その名の通り、黒を基調としたブランド。当初から期間を定めずに展開する期間限定ブランドとして発足。アーカイブでも人気のあったパターンを使用し、安価な価格帯で販売。
ギャルソンを初めて買う人にも買いやすい為、BLACKからギャルソンファンになる人も多かったのではないかと思います。従来のファンの中にも懐かしさから購入者が増え、新規だけでなく既存のファンまでにも愛されるブランドへと成長。


09年〜2013年までの年表

ザーッと年表を見てもらうとお分かりいただけるかと思うのですが、ゲリラストアの企画以降くらいからアジア圏での出店も目立ち始め、日本国内でも09年からPLAY BOXの出店が目立ち始めます。ちょうど、このくらいの頃からアジア圏の旅行客が徐々に増え始め、PLAYの売り上げ増加が見込めると考えたのでは。と思います。
特にPLAY BOXは店舗の作りが簡素に出来ている為、恐らく低コストで設置も簡単。と出店しやすさなどの計算もされて、あのスタイルなのかなと。(それでもオシャレですからね)

そして、2012年DOVER STREET MARKET GINZA オープン
銀座コマツ店西館全店舗での出店。というのもギャルソンらしくてカッコイイなと思いました。この出店の為の資金作りとしても、この近年の間に大胆にお店を増やしていたのかもしれません。

デザイナー業を務めながら、会社の運営もしている方は今となっては珍しくも無いですが、時には大胆に、そして時には引き算をし会社としてのバランスを保つ。
ブランドも偏り過ぎないようにバランスを保ちながら、数字が取れる所で取りながら資金調達をし、今後の企画に回す。
”ビジネスもアートですから”といつかのインタビューでこの言っていましたが、川久保さんは正にこの言葉があてはまる人だとおもいます。


2016年2月4日木曜日

見るものを虜にするスニーカー”NIKE"

先日、ふとNIKEの95年発売の名作”エアフットスケープ”が欲しくなり色々と調べていまして…それがきっかけで、今回ナイキの名作、珍モデル?について書こうと思いつきましたw(筆者は決してスニーカーコレクターでは無いので、あくまで個人的目線で書き進めますので、悪しからず。)



NIKEとは

NIKEというブランドは誰もが知ってると思うので、先ずは”ブランドヒストリーについて”を簡単にみていきましょう。

NIKEの誕生は、1968年アメリカはポートランドにて誕生。名前の由来は、ギリシャ神話の勝利の女神「ニーケー(Nike)」からだそう。

で、誰もが知っているスラッシュロゴ。

1971年にナイキの創業者であるフィル・ナイトが講師をしていた大学で、デザイン科を専攻していた女子大生に依頼して制作されたそう。ちなみに35ドルという破格での制作!
ちなみにこの女子大生からの案はいくつもあったようですが、印刷の都合で急ぎでロゴが必要だったため、フィル・ナイトは妥協の末にこのスラッシュロゴを選択。

この選択が後に世界的に有名になるとは誰も思ってなかったんじゃないかなと思います。
(このヒストリーだけで長くなりそうなので、割愛します)

スニーカーと関係ないのですが、今では”珍ナイキ”と呼ばれる現在、価格高騰しているTシャツなんかもこの時代70年代頃〜リリースされてました。






















中でもこの"Cascade Run off"。一時期、珍Vintageにハマっていた時期があったので、このTシャツ欲しさにいろんな古着屋を巡ってた時期がありましたが、東の方では50,000円程付いてましたね…。(買いませんでしたが)

あとは、力士がナイキを履いて相撲をとってるTシャツ、レインボー風車プリT…言い出すとキリがないのでやめときます。w



そろそろ本題に入りまして、90年代〜の名作、珍作を見ていきましょう!!(リリース年順不同)

NIKE AIR ZOOM FLIGHT 96


言わずと知れた名作ですね!!
 NBAのスタープレーヤーペニー・ハーダウェイが履いており当時人気となったモデル。AIR ZOOMを搭載したお初のモデルでAIR ZOOMの火付け役となったモデル。
いかにも90年代!って感じのデザインに懐かしさと、斬新さが見受けられますね!


AIR BAKIN 97


こちらは名作であり、珍作ですね。シカゴ・ブルスのデニス・ロッドマンモデル。
シュータン部分と、ヒール部分に"AIR"ロゴをファイアーパターンで刺繍されていたのですが、イスラム教の唯一神「Allah(アッラー)」の文字に似てる。って事で詐称になる前やったかな?にNIKEが自主回収したモデル。
その後、"AIR NIKE"と通常ロゴで刺繍し発売され、そちらもかなり人気となったようです。
この通常ロゴのモデル。10年くらい前に先輩にバスケに誘われバッシュを探してた時にリサイクルショップで4000円くらいで見つけ購入しましたw
このモデルも復刻がここ何年か前に出てましたが、今では中々なお値段ついてますね…。

AIR MORE UPTEMPO 96

またしてもバッシュ。名作ですが…NBAのスター選手であったスコッティ・ピッペンがアトランタオリンピックにて着用し、人気を博したちまち90年代の代表的なモデルとなった”モアアップテンポ”。デザインはもちろん、ソール部分全面にエアを搭載していたのも人気となった要因ではないかと思います。
2016年。今年、復刻が出るかも?って噂も出ているようで…キックスフリークは激注目しているのではないでしょうか。


AIR MOC 94

1989年にスタートした”NIKE ACG”ナイキの中でのアウトドア部門で、今まで数々の名作をこちらのラインからもリリースされてます。
その中でも”21世紀のモカシン”としてコアなファンに絶大な人気を博したAIR MOC。2/4(今日か!)復刻されDSMのNIKE LABにて発売したようですね。
このモデル、古着屋でたまーにdeadstockで見かけますが、サイズが小さい…!!

今回の復刻モデルはテックフリース使用って何だかなぁ…(あくまで個人的感想です)
アウトソールもそのままに、オリジナルに忠実に再現しての復刻を求む!!


NIKE FOOTSCAPE 96
今回この記事を書こうと思うきっかけとなった一足。当時は斬新なデザインゆえに万人受けしなかったそう。90年代中頃以降でストリートで個性的な人はコンバースデカ履きかFOOTSCAPE。ってイメージでした。
小学生だった自分には到底買える訳もなく…。数年前にこちらも復刻出てましたが、ソールがなぁ…。と残念。。パープルのオリジナルでgoodサイズのDaedで出て来れば買いだな!!


ここからは2000年代にはいりまして…
AIR WOVEN 00
このモデルも人気でしたねー。このシリースが作られた経緯として”工場の残布を再利用できないか”って事から編み地を作り、スニーカーにしてみてはどうか。って事から作られた。というエピソードをみた事があります。
この編み地が開発されてから、エアウーブンハラチ、エアウーブンフットスケープ、エアフォース×ウーブンなんてのもリリースされてましたね。
シンプルで可愛いので、春〜夏場に。フェスとかでも重宝しそうだなー。

NIKE VANDAL SUPREME

Ultra C 06



















Camouflage 06


バンダル自体は1984年リリースされたバッシュですが、実にいろいろなカラーバリエーションが出て、面白かった時代は2000年代〜じゃないかなと思います。
クッション性能も優れており、スケートボードをする時、クラブで遊ぶ時…。とかなり重宝しました。今考えると、カモフラモデルは10年くらい履いてたな…。

2000年に入ってから面白かったNIKEで言えば、バンダルのクリアーモデル 06 (こちらの画像は探しても見つかりませんでした…。)おそらくPVC素材かなと?
靴下2足セットで発売されており、カモフラのバンダルとどちらを買うか悩んだ記憶があります…。

あと、2000年代の珍スニーカーでこんなのありましたね

AIR FORCE 1 ×LOUIS VUITTON

AIR FORCE 1 × GUCCI

AIR FORCE 1 MID ×GUCCI

おそらくブートでしょうが、中学生の頃に地元の友達が履いてましたwその当時は、空前のAF1ブームで雑誌の広告ページに異様な価格で発売されたましたねw


このモデルはいつ発売されたのかわかりませんが、先ほど書いていたバンダルと同じくクリアverのAF1です。
今考えたらいつ履くねん。って感じですが、当時はこれも斬新で良いな〜って思ってました。w(若いって怖い)


ここ数年でもここに掲載したモデル数以上の数を世にリリースし続けているNIKEですが、デザインチーム、デザイナーの数も驚愕の人数のようで、その中から商品化されるのもほんの一握り…。昔、大阪某所にあったスニーカーフリークのVINTAGE SHOPで世に二足と出回ってないサンプルモデルが置いてたりしてましたが…。

筆者は基本、革靴が多いのですが、この頃またスニーカーが欲しいな〜と思いだし、いろいろと模索中ですw
それはともかく、自身が持ってるスニーカーもそんなデザイン戦争の中で勝ち残った一足か!と思うと大事に履こうと思いませんか。

次から次へと新たなスニーカーはいろんなブランドからリリースされますが、一足ずつ思い入れがあると思います。そんな一足ずつを大事に履いてあげて、次の休みの日は、シューズのケアをしたげるのも良いかもしれませんね!