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2016年7月21日木曜日

クロムハーツマガジンという本

一年の中で、どの靴を履くか…
これに頭を抱える季節"梅雨"が明けまして、ここから本格的な暑い夏が到来ですね。

暑かろうが寒かろうが、ブーツやドレスシューズを履くのは止めれません。
好きだから。
とりあえず…梅雨明けたことに一安心しております。

さてさて以前にも"CHROME HEARTS"の魅力の一部でもお伝えできたら。と
記事を書きまして。(その時の記事はこちら)今回はその第2弾?
最近やっとで手に入れたクロムハーツマガジンがすこぶる良かったので
クロムハーツが発行する” CHROME HEARTS MAGAZINE"のご紹介。

って言っても個人の感想文を超簡素に纏めた程度にしか書きませんが笑
(それより、実物を読んで!!って感じ!)

昨今、過剰な付録が付いたムック本を巷でよく見かけますが、
現在の”付録付きムック本”の先を行ってた。といっても過言ではないのでは。と思います。
というのも、過去にはLIVE CD、ポスターが付属。

Series 1 Vol.1は2000年12月?のようで、この号では主に写真と創始者であるリチャードとの
対談などが掲載されているよう。(これかなり気になる)

現在は、Series 2 Vol.7まで発行されており、現在の付録としてステッカー、ポスター、
クロムハーツのファクトリーで行われたLIVE DVDがついております。
(ちなみにSeries 2 Vol.7のLIVE DVDでは、ピストルズのギタリスト、スティーブ・ジョーンズにポール・クックやガンズの元ギタリスト、スラッシュ(再結成して戻ってるけど)
…とまぁ、豪華絢爛と言いますか、、VHSだったら擦り切れるまで見てしまう映像ですよ。

そのほかにも豪華アーティストとのジャムバンドで数々の名曲を歌ったライブ映像が30分強収録。

ご存知の通り、写真は全て、リチャードの奥様、”ローリー・リン・スタークさん”がご担当。
面白いしやろうぜ!!って空気が本のページをめくるたびに漂ってきて、、
もう…たまりません。。

はっきし言って捨てページ一切なし。穴が空いても見ていたい本。
いい紙使ってるしねー。ここまで感動した雑誌っていつぶりだろう…。
中学生の時に初めて見た”Street”、”fruit”以来か?

初めて手にした1冊目で度肝を抜かれました。バックナンバー買い漁ろうと思ってる次第です。


すごい個人的主観の強い紹介記事になりましたが、クロムハーツマガジンの魅力は伝わりましたでしょうか。
誰かに頼まれて書いてるワケでもないので好き勝手書いておりますが、いずれかの記事を読んで、その人や物に触れるキッカケになればな。と思い、書いております


クロムハーツマガジンはクロムハーツのあるべき姿、本来の魅力をショップ以外で(例えば自宅のベットルームでも)体感出来る唯一のツールではないでしょうか。


クロムハーツこそ”本物”のライフスタイルブランドだと思う。
あー…かっこよすぎっ!!!

2016年6月15日水曜日

孤高のブルースシンガー”浅川マキ”という女

”夜が明けたら一番早い汽車に乗るから
切符を一枚用意してちょうだい
私のために一枚でいいからさ
今夜でこの町ともさよならね
わりといい町だったけどね”

”夜が明けたら” 浅川マキ    


独特な渇いた声。一度聞くと離れない詩。  
もしかすると、自分と同年代の人たちは知らないかもしれない”アンダーグラウンドの女王”浅川マキ。

今回は、渋く男勝りな女性シンガーの浅川マキにフューチャーして書いていこうと思います。

アンダーグラウンドの女王”浅川マキ”

1942年1月27日石川県石川郡美川町という漁師町に生まれます。
5軒ほどしか家が無い小さな集落だった為、彼女が幼い頃は妹と共に”美空ひばり”を聞いて
育ったそう。(1948年、美空ひばりが11歳の時にレコードデビュー)

高校を卒業し、彼女は町役場に就職し、国民年金の窓口係を担当。

役場に勤めるもほどなく退職。夜行列車で東京へと向かいます。
その時、上京理由に言い残した言葉は、『法律を勉強する為』と言い残したそう

上京後、彼女は全国のキャバレーや米軍キャンプ、新宿の歌声喫茶『灯』でゴスペル、ブルース、ジャズなどを歌い生活し始める。

1967年、25歳の時に『東京挽歌』という曲でレコードデビューを果たすも、自身が歌いたかった世界とはあまりにもかけ離れており、レコードレーベルとの契約を破棄。
その後、”寺山修司”に見出され、新宿のアンダーグラウンド・シアター”蠍座”で初のワンマン公演を3日間に渡り催行。
口コミで徐々に知名度も上がっていき、
1968年7月、同氏プロデュースによる『夜が明けたら/かもめ』にて再デビュー。



学生運動や安保闘争が盛んだった70年代。時代が功を奏し”アングラの女王”は一躍有名になります。
その後も、勢力的にシンガー活動を続けるも、敬愛してやまなかった”ビリー・ホリデイ”や”美空ひばり”のように、どんな時でも自分の感情に引きつけて歌いこなすスタイル
では無く、『時代に合わせて呼吸をする積りはない』と主張し生涯の終るまでの40年間、自身の肌に合わない曲は歌わない姿勢を貫き通した。


『浅川マキ=アンダーグラウンド』といった世界観は自他ともに認めていますが、彼女は”アンダーグラウンド”といわゆる”アングラ”と混同してはいけない。と主張。

”アングラ”と”アンダーグラウンド”。言葉にしてしまうと同じように思われがちですが、彼女にとっては全くの別物。

アングラ=混沌としたもの
アンダーグラウンド=デカダンス

彼女の思うアンダーグラウンドとはこう言った事だったのではないでしょうか。

ステージでも煙草に火を灯し歌い続けた浅川マキ。
彼女の唄に対する信念は深く、海外のブルースを歌う時には一度、翻訳してもらい、その翻訳を自ら、気の向くままに、伝えたい気持ちそのままに。手を加え自身で
歌ったそうです。

その中でも代表的な一曲は、”それはスポットライトではない”ではないかと思います。

彼女が敬愛していたアーティストの一人、キャロル・キングの元夫、ジェリー・ゴーフィンの”It's Not The Spotlight"を和訳したもので、本来の歌詞はスポットライトのような瞳を持つ彼女と別れてしまった。でもまたいつかよりを戻したいという歌詞ですが、
浅川マキは、”輝いてたあの頃の光”器用に生きれない男の心情を歌っています。


松田優作や菅原文太、原田芳雄など不器用な男ばかりが彼女の周りにはいたそうです。
だからこそ”器用に生きれない男たち”の和訳歌詞が生まれたのではないでしょうか。


自身の信念を貫き通し生き抜く男も女も、何時どんな時代が来ても格好良さは変わらないのではないでしょうか。
彼女自身は2011年1月17日、3日間のワンマン公演の最終日目前にに心不全で亡くなってしまいましたが、浅川マキの名曲の数々は時代に流されず生き続けるのではないかと思います。


あの光そいつはあんたの目に…いつか輝いていたものさ
またおいらいつか感じるだろうか
あんたは何を知っているだろうか…
    
 ”それはスポットライトではない”

2016年6月5日日曜日

Bistenという旅に至福の時を与えてくれるトランクケース

前回は2週間ぶりの更新になってしまったので、今回は通常通りの週1更新で…笑


今回のテーマはLOUIS VUITTON

一言にルイ・ヴィトンと一言に言っても、1998年よりマーク・ジェイコブスによるレディトゥウェアラインの誕生。現在は、モード界を牽引する二人。
ニコラ・ゲスキエール(ウィメンズライン)キム・ジョーンズ(メンズライン)が担当し、モード界を賑わしています。

とまぁ、全てを紹介するとなると、なかなか大変なので今回はルイ・ヴィトン誕生のキッカケともなった。旅行用トランクにフューチャーしてなるべく簡素に書いていきます。笑


先ずは創始者について簡単に…


Louis Vuittonという男

創始者ルイ・ヴィトンが誕生したのは1821年のフランス。(日本だと江戸時代ですね)

木工製造を生業とする家庭にて、養母に育てられてたルイ・ヴィトンは、養母との折り合いが悪くなり、1835年、14歳の時に家を飛び出します。
行く先も無く放浪し続けていたルイ・ヴィトンは家を飛び出した2年後(1837年)に
パリにたどり着きます。

そして、辿り着いた地。パリにて家業であった木工製造の知識を活かし、レイティエ・アンバルール(荷造り用木箱製造兼荷造り職人)の見習いとして働き始めます。

1854年、彼が33歳の時に結婚と共に独立。世界初の旅行鞄専門店を開業。
馬車に適した丸いものが主流だった時代に、上積みできる平らなトランクを考案。
これが、BistenAlzerの誕生のキッカケとなります。




ざっくりと、ビステン、アルゼールの違いを説明すると…
ビステンは、アルゼールに比べ、少し厚さが薄めの作り
アルゼールの最大の特徴は、取り出し式の中トレーが付いていることです。

(写真はアルゼール)



話を戻しまして、当時トランクケースに用いられる事がおおかった豚革ではなく、
軽量で生地に防水加工を施したキャンバス地グリ・トリアノン・キャンバス、
レイエ・キャンバスを考案。
船旅が主流であった当時、計算されつくした頑丈な作り、防水加工施した
キャンバス地の為、海水がかかっても中の荷物が濡れない。といった点が評価され、大反響を呼びました。

その評判が功を来し、ヨーロッパ中の王族からのオーダーが殺到。この一件でルイ・ヴィトンの名声は一気に高まります。


グリ・トリアノン・キャンバス


レイエ・キャンバス


息子であり、2代目であるGEORGES VUITTON(ジョルジュ・ヴィトン)
により1888年ダミエ・キャンバスを発表。商標登録商品として世に放たれます。
(グリ・トリアノン・キャンバス、レイエ・キャンバスに 模倣商品が出回るようになったため生み出されと言われています。)

ちなみにダミエは、日本の市松模様をヒントに考案したそう。
市松模様とは…江戸時代の歌舞伎役者、初代佐野川一抹が”心中万年草”という舞台で白と紺の正方形を交互に配した袴にて登場。その後、人気を博し着物の柄として流行しました。

歌舞伎が主流であったこの時代、様々な着物の柄が歌舞伎からきているそうですよ。
(いつの時代も有名人が着ると流行るもんだなって関心します)

いつみても市松模様とは粋な柄。





話を戻しまして…1896年に模造品の横行が原因でダミエは姿を消します。
(1996年にモノグラム100周年を記念し、マーク・ジェイコブスにより限定復刻。その後、万を持して復活します。)
このダミエが姿を消して時を同じく、かの有名なモノグラムが誕生します。





モノグラム誕生の理由はすでにお分かりかと思いますが、模造品との戦いの末に生まれた模様。こちらも日本の家紋をヒントに作られたと言われています。
もちろんこの時代に今のようなプリント技術などはなく、職人が一つ一つ手書きで仕上げていたそう。

2代目であるジョルジュ・ヴィトンは1890年にはボワティエと呼ばれる真鍮で出来た箱に5枚の羽を組み込んだ、決してこじ開けるこの出来ない錠前を発明し特許も取得。





初代の考案した完璧なフォルムのトランクケース。

























2代目によるブランドの顔となる模様、そ顧客の荷物を絶対的に護る錠前の考案。

今もなお進化し続けるトランクケース。




ちなみにヴィトンのトランクケースには荷物の詰め方もあるそうで、それを実践すれば小さめのサイズのトランクケースでも1週間分の荷物をパッキングできるんだとか。


トランクケースのブランドとして誕生し、今日では日常に寄り添う鞄やウェアまでも発信しているルイ・ヴィトン
創始者もここまで大きくなるとは思っていなかったのでは?

時代に寄り添うものを生み出し、持つ人のことを考え作られているものとは永久不滅ではないでしょうか

価値のあるものは値段が高い。けど、それ価格以上の価値がそのものには詰まっている。
このことを忘れずに色々なものと向き合っていきたいものです。

  


   


2016年5月5日木曜日

ココ・シャネルという女性

Yves Saint-Laurent”というブランドの創始者であり、デザイナーでもある
イブ・サンローランは、「私が亡くなった時に、ブランドを終わらせて欲しい」という言葉を遺し、この世を去りました。
サンローランの死後、ファッション界に返り咲いた”エディ・スリマン”は、サンローランの言葉を受け継ぎ"Yves Saint-Laurent"の”Yves"を抜き
Saint Laurent Paris"という名で
伝統的なブランドという一面を持たせながら、新たなるブランドとしてのスタートを切りました。


デザイナーが変わればデザインも変わる。そんなの当たり前。と片付けがちですが、では、創始者がそれまで築きあげてきたブランドイメージ、ブランドコンセプトはどうなるのでしょう。

引き継ぎながらも、自分の色を出すデザイナーも居れば、全く新しい物にかえてしまうデザイナーもいる。

ここに正解などは無いとおもいます。

ただ一つ言えることは、
デザイナーが自身のブランドを離れ、別のデザイナーが受け継いだ時点で、そのブランドは別物である。ということです。


では、本題に入りまして。今回は、"CHANEL"の創始者であり、デザイナーである"COCO CHANEL"について書いていこうと思います。


現在のCHANELのプレタポルテ、オートクチュール共にデザイナーは、ご存知の方も多いかとおもいますが、”カール・ラガーフェルド”が務めています。
ココ・シャネルに代わり、CHANELを引き継いだカール。先ほど書いた引き継ぐデザイナー。と、新しいものにかえてしまうデザイナー。に当てはめると、二人の作品を並べてみると、どちらに当てはまるかは一目瞭然だとおもいます。

1960s CHANEL "COCO CHANEL"


 2010's CHANEL Karl Lagerfeld”

ココ・シャネルの編み出した伝統的な生地の使い方などは残し、デザインはカールの世界観で表現している。
正にブランドの色を引き継ぎながらも、自分の色を出すデザイナーではないかとおもいます。

先ず、簡単にCHANELというブランドが誕生するまでについて書こうとおもいます。


1883年8月19日にフランスはオーベルニュ地方ソーミュールに生まれる。
1895年シャネルが12歳の時に実母が病死、父親にも見捨てられ修道院へ。
17歳の時に修道院を出て、針子の仕事をこなす傍ら、ムーランの寄宿舎で妹と共に歌手を目指し始める。

オーディションを受けるも落選し続け、歌手という夢にピリオドを打ち、当時付き合いのあったエティエンヌ・バルサンという将校と共にパリ郊外へ。
エティエンヌと共に競馬観戦に行った際に、シャネルが目にした貴婦人たちの過度なデコレーションを施された帽子に驚愕を覚え、機能性のある帽子を自身で作り始める。

1908年マルゼルブ通りにアトリエを開設。その直後に、エティエンヌとは破局。

シャネルが26歳の時に出会ったイギリスの青年実業家として名高いアーサー・カペルとの交際がスタート。
ココ・シャネルが一生涯愛する人物となる。
アーサー助力のもと、1910年カンボン通り21番地に帽子店を開店
1913年、ドーヴィルに2号店を出店。

1915年、ジャージー素材のドレスを発表し、1916年には、ビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープンし、同年にアメリカの老舗ファッション雑誌”ハーパーズ・バザーにて初めてシャネルの服が掲載される

今でこそ主流であるジャージー素材ですが、当時は下着や軍服などの動きやすさを求められる衣類にしか使われていなかった素材です。
それまでの女性たちはコルセットでこれでもか。というほどにウエストをきつく締め上げ、ドレスを着て、社交界へ参加するのが当たり前だった時代です。
この時代の女性たちの常識であった無理をして綺麗に魅せるからの解放。
即ち、世の女性たちをコルセットから解放し、自然体の美を魅せるへとシャネルは導いた。ということです。

この点は、有名な話ですのでご存知の方も多いかとおもいますが、これを機にシャネルの作るドレスを着たいが為にダイエットをする女性が殺到したそうです。

この、ジャージー素材を使うきっかけになったのは、第一次世界大戦勃発により、素材の供給難から生まれたともシャネル自身は語っていますが、この時代にジャージー素材のドレスはかなり衝撃だったとおもいます。

それでは、ココ・シャネルとはどういう人物だったのでしょうか。
自身について語っていた本に基づいて簡単に書いていこうとおもいます。

ココ・シャネルという女性

”CHANELが誕生するまで”にも出てきた”アーサー・カペル”という人物。シャネルの生涯で最も重要人物であり、彼に出会っていなければ、シャネルは服とは違った方法で世に何かを放っていたかもしれません。(1919年、交通事故によりアーサーは死去。)
”彼からは色々なことを教わった”社交界のことや、世の中の流れ、そして、人を愛するという事がどういう事か。きっと彼から一番教わったのではないかと僕は思います。


その後、社交界での交友関係も手伝って、劇作家であるジャン・コクトーや画家のピカソ、作曲家のイーゴリー・ストランヴィスキーなどといった
そうそうたる面子との交流もあったそう。

シャネルは出不精で本を読む事を幼少期の頃から好み、人と会うのがあまり好きではなかったようで、家族のように接する事ができる、即ち気兼ねのない関係で付き合い出来る人としか過ごさなかったようです。

その反面、色恋はお好きだったようで、アーサー亡き後も、色々な男性とお付き合いを繰り返していたよう。
ただ、シャネルの87年という長い生涯で一度も結婚する事がなかったのも、アーサー・カペルという最愛の人物を亡くしたからではないでしょうか。

彼女の仕事に対する姿勢は、本当に尊敬の一言でしかないです。
”服が好きで作っているのでは無い。そして欲しい物の為に働いてるのでは無い。働くという事が好きだから服を作っているこの言葉が似合う人物はココ・シャネルを除いて果たしているでしょうか。

⚪︎⚪︎が好きだからやっている。こういう方は他にも多くいらっしゃると思います。
でも、働く事が好きだから。というのは全く別ではないでしょうか。

女性の自立を誰よりも目指し活動し、今では当たり前に見られる女性のスーツの原型とも言えるであろう「シャネル・スーツ」を作り、大戦時代という物資が手に入りにかった時代にもめげず、負けず知恵を絞り、新たなる生地使いを編み出したりと
ココ・シャネルの功績を挙げだすとキリがないです。


物で溢れ返り、何が良くて何が悪いのか混沌としているご時世。情報が飛び交い、流れの早い流行に踊らされるのではなく。自分の意思で、自分が思う良質な物を選ぶ。それこそ大事な事ではないでしょうか。




個人的な事なのですが、GW期間中に一日だけ休みがあったので、WESCOに行って参りました。(前回の記事にてWESCOを紹介しております)
こんな場所にあるの?!といった場所で、元々、醬油蔵?か何かの倉庫であったであろう場所を改装し、店舗兼アトリエとなった素敵な空間でした。
今回は、見積もりでお邪魔しまして…話している中でイメージも湧き、完成したので今夏オーダーすることを決意しました。 稼ぐぞー!!

そしてその後、僕の尊敬する人生の先輩で有り、友達である方が働くお店に久々にお邪魔させて頂き、(今すぐは買えないけど、来年くらいには買おう!!と終始悶々してたけど)やはり商品陳列はもちろん、什器や細かいディテールにも職人さんの力が宿っており、すこぶるヤル気を頂けました!
忙しい時にお邪魔しました!でも、おかげさまで言葉に言い表せない…。。何かの刺激を頂けました。ありがとうございます!


そして、今年初?かも?しれない?ON THE BOOKSさんへ。
一言で言えばTHE憩いの場です。やっぱり素敵な本ばかり置いております。丸一日いても飽きません。
店主の人柄が滲み出ている店内の温かい雰囲気。いつも色々とアドバイス頂けたり、教えてもらえたり…プライベートでもお世話になりまして、いつもありがとうございます。

改めて考えると、大阪に出てきて直ぐくらいからお付き合いして頂いてるお二人。
スゲーぶっ飛んでてかっこいいです。憧れます。
無論、他にもぶっ飛んだ方々が多いおかげで(良くも悪くも?)学ぶことが多いです。

もらうばかりでは無く、この良い連鎖を誰かに与えていかないとな!と思ったしだいです。

以上!

あっ。ブログの名前が仮名からやっとで変わりまして、Fougere(フランス語でシダになりました)
今後とも宜しくお願いします。


2016年4月25日月曜日

CHROME HEARTSという唯一無二のブランド

artisan

ar・ti・san /άɚṭəznὰːtɪzˈæn/
ー他の人には真似出来ない技術を持った人

ー価格は高価だが、品質の高いものを作る人

ー長く愛せる一点を作り出す人

時計の最高峰と言えば、時計のスタンダードスペックの生みの親であるPATEK PHILIPPEから1932年に誕生したカラトラバ
それまで同ブランドの定番として手掛けてきた複雑時計の機能を職人達が削ぎ落とし、よりシンプルに…これ以上、足す事も引くも事も不要な仕上がりに。時計好きを唸らせる一品。

ドレスシューズの最高峰と言えば、JHON LOBBの”ウィリアム”。
1945年、同ブランドにて当時の英国王の為にビスポークとして生みだされたのが”ダブルモンク”という型。 「JHON LOBBは靴を作っているのではない。JHON LOBBを創っているのだ」とジョンロブにて働く職人が放った言葉に嘘偽りは無く一点一点、優秀の美を送るべき作品を世に放っているJOHN LOBB。

帽子の最高峰と言えば、Borsalino”シナトラ”
イタリアでは、帽子が一つの財産として認められ、相続の対象となるほど価値あるものであると言われています。 手触りは柔らかいのに、型崩れしづらい。紳士の象徴として愛されるボルサリーノのハット。時代の流れに従い、機械を導入しても、職人の手による作業が加わっているの今も昔もは変わらず。無論、素材へのこだわりも変わらず。
一度手にすると、ボルサリーノは帽子界の頂点に君臨し続ける存在であるのは言わずもがな、おわかりいただけることでしょう。


自分が思う最高峰を上記で書いてみましたが、分野はそれぞれ違えど、全てに共通する部分があります。
既にお分かりの方も多いかと思いますが、全て職人の手が。即ち、各々のプロフェッショナルが手がけているという事。そして、”持ち主に生涯寄り添ってくれる最高の一品”である。と言う事です。

レザー、シルバーアクセサリーの最高峰のブランドはどこか。そう問われた際に誰もが思い浮かぶブランドと言えば、"CHROME HEARTS"ではないでしょうか。

クールであり、時にセクシー。
クラシカルであり、時にアグレッシブ
高尚であり、時に遊び心をくすぐられ

相反するような語義や形容詞が思いつくブランドも少ないのではないかと思います。

かなり前置きが長くなりましたが、今回はクロムハーツにフューチャーしてズラズラーと書いていこうと思います。


CHROME HEARTSというブランド

という事で先ずは、ブランドの誕生までの経緯を簡単に書いていこうと思います。
1970年代末、ニューヨークで生活していた創始者であるリチャード・スターク(Richard Stark)は、グレイハウンド・バスに乗りカリフォルニアへと移住し、大工の見習いとして建築を学び始めます。この建築会社では、別事業で皮革輸入も行っており、リチャードは大工業と同じく皮革輸入にも携わりはじめます。

その後、大工業を辞め、皮革輸入会社一本に絞り、営業に転身する事を決意。
元々、バイクに乗る事が趣味であったリチャードは、自身のハーレーで全米を巡回しながら営業をしている時に、同じ皮革製品のセールスをしていたジョン・バウマンと知り合う。 その後、自分たちやバイカー仲間が履く最高のレザーパンツを作ろうと、リチャードとジョンは意気投合。

当時の市場では、上質な素材を用いた高い技術での加工といった職人気質なプロダクトは求められておらず、粗悪で安価な素材やプロダクトが求められている事が多かったそう。
そんな中で、二人は最高級な素材を仕入れ、レザーパンツを作り始めます

二人は、既存のバイクファッションに飽きたらず、自分たちが身につけるアクセサリーやバイクの装飾品を求め始め、彫金職人であるレナード・カムホートを仲間に取り組む。

そして、かの有名なジッパーやボタン部分の素材をニッケルではなく、シルバーを用いたライダースジャケットやレザーパンツ。シルバーアクセサリーが誕生します。

1988年に産声を上げたクロムハーツ。
ブランド設立と同年にアメリカで撮影されたB級ゾンビ映画Chopper Chicks in Zombietown(本題:CHROME HEARTS)ダブルのライダースジャケットが衣装提供として使用されており、その映画をたまたま観た元セックス・ピストルズ、ギタリストのスティーブ・ジョーンズがライダーズを気に入り、それがクロムハーツのものだと知ったスティーブはクロムハーツのライダースを入手。
それが火種となり、ロサンゼルスのカリスマ的セレクトショップが取り扱いを始め、感度の高い人々の間での口コミから爆発的な人気を集め、瞬く間に世界中で注目されるブランドとなります。

今日の時代のように、インターネットなどの情報発信の場は無く、情報源は雑誌や口コミが主流の時代。
そんな時代に世界中に知れ渡るまで、時間が掛からなかったのは、それだけ品質が高く、デザイン性も高かったから。といえるでしょう。


ちなみにこちらの"Chome Hearts"という映画、Chopper Chicks in Zombietownというタイトルが一人歩きし、こちらの呼び名の方が有名となり、後に本編でもタイトルが変更されております。笑
気になる内容は…とある町で、鉱山発掘の労働奴隷させられる人々を殺しては、頭に電池?みたいな装置を埋め込み蘇生させ、ゾンビにしてこき使っていたが、そのゾンビ達が突然町を襲いだす。
そこに"Sluts"という女性バイカー集団が、アメリカツーリングツアー中に立ち寄り、ゾンビ達と戦う…ざっくりお伝えするとそんな内容でした。(映画のレビューになりそうなのでこの辺で止めときます)

このSlutsというバイカー集団こそがあのクロムハーツが衣装提供したライダースを着ているワケなのですが…ディテール、シルエット、どこをとってもカッコイイ!!先入観無しでカッコイイライダース。。

他にもカッコイイと思うライダースジャケットのブランドは有りますし、欲しいなぁ…と思うレイダースも有りますが、やっぱりクロムのライダースが一番欲しい!!そしてカッコイイ!!と改めて確信しました。(欲しい‼︎って思うポイントを書き出すと、長くなりそうなので割愛します)


話を戻しまして、日本国内にて初めての正規取扱店として取り扱いを始めたのは1990年、インテレクチュアルギャラリーだったようです。(2012年には取り扱いを終了。)

その翌年91年にはギャルソン青山でも取り扱い。ギャルソンといえば、クロム・デ・ギャルソンなんてのもありましたね(日本にクロムハーツを仕入れたには、川久保さんとの噂も有りますが、真相は…僕には分かりません。)
ボタンにクロムハーツのシルバーを用いた逸品。。現在では、DSMにてクロムハーツ(主にシルバーアクセサリー)を展開してます。(2014年にDSMGINZAに行った時点での話)




あまり長々と書いたところで、そのブランドの魅力が伝わると思わないのであまり長く書きたくないのですが…好きなものについては、ついつい書いてしまう。。


ハリウッドにあるアイスクリーム工場を改装したファクトリー。
ここでは、レザー、シルバー、ウッド(家具など)、ファブリックの全てのセクションの工房があり、アトリエがあり。製品の企画、制作の全てがここで行われているそう。
いわば、クロムハーツの核となる場所。
なにより凄いのは、クロムハーツの商品は外部発注をせず、全て自社工場にて各分野でスペシャリストな職人が手掛けている。
そして、リチャード氏の目の届く範囲で作られ、無理のない生産を行っている。
ということです。ここまで徹底して作っているのも、リチャード氏自身が大工として養ってきた経験が生きてこそではないでしょうか。
現在でも、製品化する前のサンプルをリチャード氏が確認し、OKが出た作品だけが世界のクロムハーツショップに並んでいます。

このこだわりは店舗作りにも及んでおり、什器はもちろん、ドアノブ等の細かいディテール部分にはシルバーを使用。とぬかりなく。
什器に使われる木材は、通常では家具には使用されることも少なく、人力で運ぶには困難で、熟練した職人で無ければ扱う事が難しいと言われているエボニー材(黒檀)を使用。
これら全ても、もちろん同じファクトリー内で作っており、新規店舗が出来るとなれば、世界中のどこにでも店舗制作用の職人チームがスケルトン状態の店舗に予めファクトリーで製作した什器等を持ち込み、細かい部分はその場で制作し、はめ込んでいく。

一点ずつ手での削り出しの為、階段手すりの支柱などもよく見ると一本ずつ仕上がりが異なる一点物。
手作業によるものならではの暖かみが、クロムハーツの商品や店舗の什器一つ一つにあるように思います。














クロムハーツというブランド。たくさん付けている人をよく見かけます。(別にそれ自体が悪い。)と言ってるワケではないのですが、一つでも存在感の強いブランド。
ならばさりげなく、一つ二つだけを身につける方が、喧嘩せずにそれぞれの個性が際立ち格好良さが引き立つんじゃないかな?と思います。

今日はこれとこれにしよう。明日はこれとこれ…など、たくさん持っているならばその日の気分で身につけるものを選ぶ楽しみが出来るとも思います。


最後に職人さんが手がけるもの。どれをとってもそうですが、長く愛せるものである事を忘れないであげてください。持ち主がケアをしてあげたり、大切に扱ってあげれば、本当に長く寄り添ってくれるものたちばかりです。
そして、長年使い込んで、あなただけの逸品に仕上げてみてはいかがでしょう。

まだまだ書きたい事がありますが、かなり長くなるのでやめときます。笑





あー…クロムのライダース欲しいっ!!一
個大きい目標クリアーした時に買おう!!その為にもがんばろー!!!


2016年3月8日火曜日

BALENCIAGAというブランド

毎週金曜から気付けば火曜に変わってお送りしております。今回は、つい先日16AWコレクションにてヴェトモン(Vetements)のデザイナー。デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)就任後初のランウェイが公開されました。BALENCIAGAについて書いていこうかと思います。

あくまで個人的感想ですが、アレキサンダー・ワン(Alexander Wang が同ブランドに就任後の同ブランドをお店に観に行きましたが、彼の色が強すぎて好みではなかったです。(あの時が好きだったのに!って人には申し訳ないですが)

個人的感想は…まぁいいやw 後ほどその理由にも触れていきます。


では、バレンシアガについて。って事で、初代デザイナー〜ブランド特徴などを紐解いていきましょう。

BALENCIAGA

1914年バスク系スペイン人、クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)設立。20世紀前半のクチュール界の建築家」と言われている。 1950年代にはDiorと肩を並べる名門に成長。68年に創始者であり、デザイナーでもあったクリストバル氏が死去。
その2年後の1970年頃より経営不振による倒産危機に直面するが、その後、復活を果たす。
2001年には、PPR(現ケリング)の傘下に属す。同年、チーフディレクターに、ニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquiere)が就任。(ニコラ・ジェスキエールは現在、マークジェイコブスの後任として、ルイ・ヴィトンのウィメンズクリエイティブ・ディレクターを務める。)

(余談ですが、この時、グッチの経営不振を見直す為に、トム・フォードが所属していた時で、当時、若手であったニコラの才能を見抜いた一人といっても過言ではないです。)

2001年バッグと靴のラインを発表(昨今流行りのバッグはニコラが所属していた時に登場したバッグってこと)
翌年2002年には初のメンズラインを発表

ニコラ・ジェスキエールの有名な発言で「僕は(低迷する)バレンシアガを救ったが、バレンシアガにも(ファッションデザイナーとしても)救われた」という言葉があります。

1950-51A/W


2001-02A/W

2013-14A/W

上記写真2枚は、1枚目が、創始者でデザイナーである、クリストバル・バレンシアガの代表的なカクテルドレス、2枚目がニコラ・ジェスキエール就任直後のコレクション。三枚目がアレキサンダー・ワン就任直後のコレクション写真の一部です。
創始者クリストバル氏の作品。構築的なデザイン、実際に着た時の事を.。動いた時の変化を計算しながら入れてるであろうプリーツの入り方。このバランスによる調和でフェミンンさをプラス。

01−02A/W ニコラ氏の作品。クチュール界の建築家」へのオマージュかのように、ニコラ氏のデザインも構築的ながらも女性らしさ可愛らしさを取り入れられた素敵な作品。

13−14A/W ワン氏のデザイン この時の同ブランドのコレクションに多く見られた(気がする)マーブルファブリック。タイトなシルエットでフェミニンというよりも、女性の力強さ、格好良い女性。を意識したような作品が多かったように思います。
筆者のバレンシアガに対するイメージは、フェミニン、構築的だったのでワン氏が就任したタイミングでブランドの方向性を変えたのかな?って印象でした。

その後のバレンシアガも見ていましたが、何か…バレンシアガの良さが無くなってない?って感じがして正直寂しく思ってました。(あくまで個人的感想です。)

その時は、メンズも何か違う…って気がして目にも止まらず…。

そうこうしてると、またデザイナーが交代とな…。ヴェトモンのデザイナー?ヴェトモンってどんなブランド?ってところから始まり、色々とヴェトモンの服を見ていると、ストリートな要素を取り入れつつも、スポーティ。なるほど。昨今のスポーティブームはココからも来てるのか。と色々考えながらも楽しみにしていました。

そしてつい先日、楽しみにしていたデムナ氏による新生バレンシアガコレクションの発表…




そうそう!この感じ!構築デザインでフェミニン。そこにデムナ氏が得意とするストリートな要素をスパイスにミックス。
サンローラン現デザイナーであるエディ・スリマンが16−17A/Wを最期に退任?のニュースやら、Diorからラフ・シモンズ退任のニュースやら…また、ファッション業界が盛り下がるのかなあ…って思ってた矢先にワクワクさせてくれるコレクションの発表!

去年から色んな雑誌でデムナ氏の情報は入ってたけど、どうなんやろ?って思ってたのが事実。でも、それを覆されるコレクションだったのもまた事実。

今後とも服という媒体から目が離せないですね。



そうそう。DSM GINZAで、グッチのデザイナーであるミケーレによるインスタレーションが4月6日まで公開されているようです。あー超行きたい!!!!





2016年2月4日木曜日

見るものを虜にするスニーカー”NIKE"

先日、ふとNIKEの95年発売の名作”エアフットスケープ”が欲しくなり色々と調べていまして…それがきっかけで、今回ナイキの名作、珍モデル?について書こうと思いつきましたw(筆者は決してスニーカーコレクターでは無いので、あくまで個人的目線で書き進めますので、悪しからず。)



NIKEとは

NIKEというブランドは誰もが知ってると思うので、先ずは”ブランドヒストリーについて”を簡単にみていきましょう。

NIKEの誕生は、1968年アメリカはポートランドにて誕生。名前の由来は、ギリシャ神話の勝利の女神「ニーケー(Nike)」からだそう。

で、誰もが知っているスラッシュロゴ。

1971年にナイキの創業者であるフィル・ナイトが講師をしていた大学で、デザイン科を専攻していた女子大生に依頼して制作されたそう。ちなみに35ドルという破格での制作!
ちなみにこの女子大生からの案はいくつもあったようですが、印刷の都合で急ぎでロゴが必要だったため、フィル・ナイトは妥協の末にこのスラッシュロゴを選択。

この選択が後に世界的に有名になるとは誰も思ってなかったんじゃないかなと思います。
(このヒストリーだけで長くなりそうなので、割愛します)

スニーカーと関係ないのですが、今では”珍ナイキ”と呼ばれる現在、価格高騰しているTシャツなんかもこの時代70年代頃〜リリースされてました。






















中でもこの"Cascade Run off"。一時期、珍Vintageにハマっていた時期があったので、このTシャツ欲しさにいろんな古着屋を巡ってた時期がありましたが、東の方では50,000円程付いてましたね…。(買いませんでしたが)

あとは、力士がナイキを履いて相撲をとってるTシャツ、レインボー風車プリT…言い出すとキリがないのでやめときます。w



そろそろ本題に入りまして、90年代〜の名作、珍作を見ていきましょう!!(リリース年順不同)

NIKE AIR ZOOM FLIGHT 96


言わずと知れた名作ですね!!
 NBAのスタープレーヤーペニー・ハーダウェイが履いており当時人気となったモデル。AIR ZOOMを搭載したお初のモデルでAIR ZOOMの火付け役となったモデル。
いかにも90年代!って感じのデザインに懐かしさと、斬新さが見受けられますね!


AIR BAKIN 97


こちらは名作であり、珍作ですね。シカゴ・ブルスのデニス・ロッドマンモデル。
シュータン部分と、ヒール部分に"AIR"ロゴをファイアーパターンで刺繍されていたのですが、イスラム教の唯一神「Allah(アッラー)」の文字に似てる。って事で詐称になる前やったかな?にNIKEが自主回収したモデル。
その後、"AIR NIKE"と通常ロゴで刺繍し発売され、そちらもかなり人気となったようです。
この通常ロゴのモデル。10年くらい前に先輩にバスケに誘われバッシュを探してた時にリサイクルショップで4000円くらいで見つけ購入しましたw
このモデルも復刻がここ何年か前に出てましたが、今では中々なお値段ついてますね…。

AIR MORE UPTEMPO 96

またしてもバッシュ。名作ですが…NBAのスター選手であったスコッティ・ピッペンがアトランタオリンピックにて着用し、人気を博したちまち90年代の代表的なモデルとなった”モアアップテンポ”。デザインはもちろん、ソール部分全面にエアを搭載していたのも人気となった要因ではないかと思います。
2016年。今年、復刻が出るかも?って噂も出ているようで…キックスフリークは激注目しているのではないでしょうか。


AIR MOC 94

1989年にスタートした”NIKE ACG”ナイキの中でのアウトドア部門で、今まで数々の名作をこちらのラインからもリリースされてます。
その中でも”21世紀のモカシン”としてコアなファンに絶大な人気を博したAIR MOC。2/4(今日か!)復刻されDSMのNIKE LABにて発売したようですね。
このモデル、古着屋でたまーにdeadstockで見かけますが、サイズが小さい…!!

今回の復刻モデルはテックフリース使用って何だかなぁ…(あくまで個人的感想です)
アウトソールもそのままに、オリジナルに忠実に再現しての復刻を求む!!


NIKE FOOTSCAPE 96
今回この記事を書こうと思うきっかけとなった一足。当時は斬新なデザインゆえに万人受けしなかったそう。90年代中頃以降でストリートで個性的な人はコンバースデカ履きかFOOTSCAPE。ってイメージでした。
小学生だった自分には到底買える訳もなく…。数年前にこちらも復刻出てましたが、ソールがなぁ…。と残念。。パープルのオリジナルでgoodサイズのDaedで出て来れば買いだな!!


ここからは2000年代にはいりまして…
AIR WOVEN 00
このモデルも人気でしたねー。このシリースが作られた経緯として”工場の残布を再利用できないか”って事から編み地を作り、スニーカーにしてみてはどうか。って事から作られた。というエピソードをみた事があります。
この編み地が開発されてから、エアウーブンハラチ、エアウーブンフットスケープ、エアフォース×ウーブンなんてのもリリースされてましたね。
シンプルで可愛いので、春〜夏場に。フェスとかでも重宝しそうだなー。

NIKE VANDAL SUPREME

Ultra C 06



















Camouflage 06


バンダル自体は1984年リリースされたバッシュですが、実にいろいろなカラーバリエーションが出て、面白かった時代は2000年代〜じゃないかなと思います。
クッション性能も優れており、スケートボードをする時、クラブで遊ぶ時…。とかなり重宝しました。今考えると、カモフラモデルは10年くらい履いてたな…。

2000年に入ってから面白かったNIKEで言えば、バンダルのクリアーモデル 06 (こちらの画像は探しても見つかりませんでした…。)おそらくPVC素材かなと?
靴下2足セットで発売されており、カモフラのバンダルとどちらを買うか悩んだ記憶があります…。

あと、2000年代の珍スニーカーでこんなのありましたね

AIR FORCE 1 ×LOUIS VUITTON

AIR FORCE 1 × GUCCI

AIR FORCE 1 MID ×GUCCI

おそらくブートでしょうが、中学生の頃に地元の友達が履いてましたwその当時は、空前のAF1ブームで雑誌の広告ページに異様な価格で発売されたましたねw


このモデルはいつ発売されたのかわかりませんが、先ほど書いていたバンダルと同じくクリアverのAF1です。
今考えたらいつ履くねん。って感じですが、当時はこれも斬新で良いな〜って思ってました。w(若いって怖い)


ここ数年でもここに掲載したモデル数以上の数を世にリリースし続けているNIKEですが、デザインチーム、デザイナーの数も驚愕の人数のようで、その中から商品化されるのもほんの一握り…。昔、大阪某所にあったスニーカーフリークのVINTAGE SHOPで世に二足と出回ってないサンプルモデルが置いてたりしてましたが…。

筆者は基本、革靴が多いのですが、この頃またスニーカーが欲しいな〜と思いだし、いろいろと模索中ですw
それはともかく、自身が持ってるスニーカーもそんなデザイン戦争の中で勝ち残った一足か!と思うと大事に履こうと思いませんか。

次から次へと新たなスニーカーはいろんなブランドからリリースされますが、一足ずつ思い入れがあると思います。そんな一足ずつを大事に履いてあげて、次の休みの日は、シューズのケアをしたげるのも良いかもしれませんね!