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2015年11月24日火曜日

時代に変革をもたらしたAndy Warhol

1999年人類滅亡を予言していたノストラダムス。
当時、小学生だった筆者は、この大予言に”地球はどうなるんだろ?
地球が滅亡したら、もう勉強もしなくても良いやん。とか考えながらもドキドキしていました。

そんな事を考えながら、1999年も無事に終え、2000年に突入。
2000年代中頃にその時と同じ衝撃を、とあるアーティストから受けました。

それが、アメリカ出身のPOP ARTで有名な”Andy Warhol"
その頃、筆者は何故か、バナナのシール(下記画像)

に魅了され、珍しいものを見つけてはコレクションしていました。
(今でも珍しい物を見ると冷蔵庫に貼ってしまうけど)
そんな、収集癖があるときに出会ったのが、Ande Warholプロデュースの
”Velvet Underground and NICO"のアルバムでのバナナのアートワーク




これを見たときは、バナナをアートにするってスゲー!!!って衝撃でした。
(バナナにハマってたから余計にだと思う)大げさな言い方かもしれませんが、
当にノストラダムスの大予言の時くらい、びっくりしたのを覚えています。


そこから月日が流れて、その数年後にAndyに興味を抱き色々と調べるうちに魅了され
気づけば虜となり…今回、"Andy Warhol"の数々の功績などを特集しようと思いました。


それでは先ず、略歴から始めたいと思います。

Andy Warhol 本名:Andrew Warhola

1950年〜 商業デザイン時代

1949年、カーネギー工科大学(現:カネーギーメーロン大学)卒業後の翌年1950年に
NEW YORKへ移住
コマーシャルアーティストの仕事を始める
VOUGUEやHarper's BAZAAR等のファッション雑誌の広告で活躍し、1952年新聞広告部門で
『アート・ディレクターズ・クラブ賞』を受賞

これをキッカケに商業デザイナーとして、成功を収める。



ブロテッド・ライン(線画にのせたインクを紙に転写する大量印刷に適した手法)を
発明し、JAZZの名門レーベル"BLUE NOTE"などのレコードジャケットも手掛ける。



1960年代〜ファインアート時代

ある出会いをキッカケに、イラストレーションの世界からファインアートの世界へ移る

1964年にNYにファクトリーという壁一面を銀色で覆われたスタジオを構える。
ファクトリーはミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)トルーマン・カポーティ(作家)、イーディー・セジウィック(モデル)などアーティストの集まる場となる。

1965年"The Vervet underground"をプロデュース

1968年全男性抹殺団(S.C.U.M)のメンバーバレリー・ソラナスに狙撃される
三発発射された弾丸のうち最初の二発は外れ、三発目が左肺、脾臓、胃、肝臓を貫通
彼は重体となるが一命をとりとめる。

1970年代〜ビジネスアート時代

1970年代〜は、社交家として、制作費を定額にした注文肖像画というビジネスをスタート
数々の有名人の肖像画をシルクスクリーンプリントを用い、ポートレイト製作
(この頃より、ファクトリー改め、オフィスと呼び方が変わる)

1974年 日本初来日。世界中で個展を始める。

1970年代〜80年代にも、数々のレコードジャケットのアートワークを手がける。


日本人アーティストでは、坂本龍一やラッツ&スターなど



1982年〜1986年に掛けて、神話をモチーフとした作品を製作。
最後の作品として、ウラジミール・レーニンのポートレイトなど

1987年2月21日 NY コーネス医療センターにて胆嚢手術を受けるも、翌22日、容態が
急変し、心臓発作で死去。 享年58歳。

Andyに関しては、略歴だけでこの長さになってしまうので、時代毎に分けて更新していこうと思ってます。

Andyが活躍していた時代に生まれていなかったので、リアルタイムの空気感は正直、全く分かりません。

彼がどう言った思惑で商業デザイナーからファインアートの世界へ挑み、商業アートという新しい価値感を作り出したのか。

Andyは「その時何を考え、世の中に何を残そうとしたのか」そこに注目し、考えながら彼の功績を辿っていきたいと思います。


Part.1は、11/27(金)更新予定です。
先ず、50年代、商業デザイン時代をピックアップして始めていこうと思います。

お楽しみに

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