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2015年11月27日金曜日

50s "Illustration" with Andy Warhol

前回、略歴を書いてますので前置きは割愛させていただきます。

さて、今回からスタートするAndy Warhol特集

『彼は何を残し、何を考えて数々の作品を世に残したのか』

年代別の記事に分けてご紹介、筆者の思う”アンディ・ウォーホルの思惑”
を紐解いていこうと思います。


それでは本題に入りまして、1950年代の商業イラストレーターとしての活躍から
始めたいと思います。

アンディ・ウォーホール(以後:アンディ)は1949年カーネギー工科大学卒業後の
翌年NYへ移住(その時は教師になろうという気持ちも半分くらいはあったそうです)




NYでは、フィリップ・パールスタインとアパートでシェアをしながらフリーの
商業イラストレーターとしてスタート

ポートフォリオをカバンに入れ、毎日色んな出版社等に営業活動する日々。

余談ですが…。シェアハウスで暮らしていた頃、住んでいた家にはネズミが住み着いて
おり、商談に行った先でバッグからネズミが突然出てきて大恥をかいたけど、
商談相手の情けも有り、その商談先の仕事にありつけたそう
(その仕事が、ニューヨーカー誌だったかな?)



         



その後、幸運にもネズミの一件から軌道に乗り始め、『ヴォーグ』や
『ハーパーズ バザー』『ニューヨーカー』、『セヴンティーン』等の雑誌の仕事や
『ティファニー』等のウィンドウディスプレイの仕事にも携わる売れっ子イラストレータの仲間入りを果たします。


その後、新聞に掲載されていた靴の広告イラストで
1952年”アートディレクターズ・クラブ賞”を受賞。(下記作品)
同年、NYのヒューゴギャラリーにて初の個展を開催
トールマン・カポーティの著作をモチーフにしたドローイング作品を展示



この頃からアンディは”アーティストとして活躍していこう”と少しずつ考えていた
のかな?と感じます
シンプルな線と独特な構図、広告イラストもそうですが、当時にしてはかなり斬新
だったんじゃないかな。





広告イラストによく用いた手法はブロテッドライン(吸水性のない紙にイラストを描き、
吸水性の強い紙を押し当てて転写する技法)を用い、水彩で着色。

この時から既に、シルクスクリーンプリント作品=大量生産の向いている作品作り

商業アートビジネスのヒントをアンディは見つけてたのかもしれませんね。






50年代の彼の作品で多く見受けられる技法ブロテッドライン。
この技法を用い、名門JAZZレーベルのレコードジャケットアートワークも多くリリース。
 






どのレコードも中々の値段がするので手が出ません…。

ただ、どれもかっこいいですよね!家に置いてるだけでも絵になります。
中身も良い音楽ばかりでアートワークと上手く調和してます!この当時の巨匠作品を
手がけていたのはよほど名誉な事ではないかと。。
(長くなりそうなので今回は音楽の話は割愛させていただきます)


1956年 日本初来日。京都は五重塔を山側から見た時のデッサン画も
作品の一つとして残っており
日本の文化にアンディは惹かれるところが多数あったよう

日本人のシンプルな表現力、三十三間堂の観音像から、60年代から手がける
シルクスクリーンプリント作品で有名な同じ図像を繰り返すヒントにもなったり
と、色んな事を吸収していたようです。


日本でアンディの作品が初めて展示されたこの時、見に行かれた日本人はどういう印象を
受けたんでしょうか
筆者がアンディのデッサン作品を初めて見たときは、資生堂の広告イラストを連想
させました(上記で紹介したデッサンはアンディの作品)

その頃の資生堂広告イラストも日本人らしいシンプルさに西洋デッサン画のタッチを
ミックスさせたものが多く、ハイカラな印象があります。



その広告をアンディが日本に来た際、見たかどうかはわかりませんが、もし見ていた
ならば、親近感が湧いたんじゃないかな?と思います。


そして、50年代も終盤に差し掛かり始めた頃、アンディがよくギャラリー巡りを共にしていた”テッド・ケアリー”と、アンディに色々なアドバイス、イラストの仕事を
紹介していた”エミール・デ・アントニオ”という二人の人物。

この二人の人物も60年代~のアンディに多大なるチャンスとヒントをもたらす重要人物の二人となります。


アンディ・ウォーホルという人物は極めて純粋で、見るもの全てからいろいろな影響を
受けて吸収し、アンディという人物のフィルターを通し、この頃は広告イラストという
媒介を用いて世に発信し続けていたのがお分かりいただけたかと思います。


アンディにとって50年代は基盤作り、60年代からが本番といったところでしょうか。
次回は、アンディが最も好きだった時代”60s”のお話です。

2015年11月24日火曜日

時代に変革をもたらしたAndy Warhol

1999年人類滅亡を予言していたノストラダムス。
当時、小学生だった筆者は、この大予言に”地球はどうなるんだろ?
地球が滅亡したら、もう勉強もしなくても良いやん。とか考えながらもドキドキしていました。

そんな事を考えながら、1999年も無事に終え、2000年に突入。
2000年代中頃にその時と同じ衝撃を、とあるアーティストから受けました。

それが、アメリカ出身のPOP ARTで有名な”Andy Warhol"
その頃、筆者は何故か、バナナのシール(下記画像)

に魅了され、珍しいものを見つけてはコレクションしていました。
(今でも珍しい物を見ると冷蔵庫に貼ってしまうけど)
そんな、収集癖があるときに出会ったのが、Ande Warholプロデュースの
”Velvet Underground and NICO"のアルバムでのバナナのアートワーク




これを見たときは、バナナをアートにするってスゲー!!!って衝撃でした。
(バナナにハマってたから余計にだと思う)大げさな言い方かもしれませんが、
当にノストラダムスの大予言の時くらい、びっくりしたのを覚えています。


そこから月日が流れて、その数年後にAndyに興味を抱き色々と調べるうちに魅了され
気づけば虜となり…今回、"Andy Warhol"の数々の功績などを特集しようと思いました。


それでは先ず、略歴から始めたいと思います。

Andy Warhol 本名:Andrew Warhola

1950年〜 商業デザイン時代

1949年、カーネギー工科大学(現:カネーギーメーロン大学)卒業後の翌年1950年に
NEW YORKへ移住
コマーシャルアーティストの仕事を始める
VOUGUEやHarper's BAZAAR等のファッション雑誌の広告で活躍し、1952年新聞広告部門で
『アート・ディレクターズ・クラブ賞』を受賞

これをキッカケに商業デザイナーとして、成功を収める。



ブロテッド・ライン(線画にのせたインクを紙に転写する大量印刷に適した手法)を
発明し、JAZZの名門レーベル"BLUE NOTE"などのレコードジャケットも手掛ける。



1960年代〜ファインアート時代

ある出会いをキッカケに、イラストレーションの世界からファインアートの世界へ移る

1964年にNYにファクトリーという壁一面を銀色で覆われたスタジオを構える。
ファクトリーはミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)トルーマン・カポーティ(作家)、イーディー・セジウィック(モデル)などアーティストの集まる場となる。

1965年"The Vervet underground"をプロデュース

1968年全男性抹殺団(S.C.U.M)のメンバーバレリー・ソラナスに狙撃される
三発発射された弾丸のうち最初の二発は外れ、三発目が左肺、脾臓、胃、肝臓を貫通
彼は重体となるが一命をとりとめる。

1970年代〜ビジネスアート時代

1970年代〜は、社交家として、制作費を定額にした注文肖像画というビジネスをスタート
数々の有名人の肖像画をシルクスクリーンプリントを用い、ポートレイト製作
(この頃より、ファクトリー改め、オフィスと呼び方が変わる)

1974年 日本初来日。世界中で個展を始める。

1970年代〜80年代にも、数々のレコードジャケットのアートワークを手がける。


日本人アーティストでは、坂本龍一やラッツ&スターなど



1982年〜1986年に掛けて、神話をモチーフとした作品を製作。
最後の作品として、ウラジミール・レーニンのポートレイトなど

1987年2月21日 NY コーネス医療センターにて胆嚢手術を受けるも、翌22日、容態が
急変し、心臓発作で死去。 享年58歳。

Andyに関しては、略歴だけでこの長さになってしまうので、時代毎に分けて更新していこうと思ってます。

Andyが活躍していた時代に生まれていなかったので、リアルタイムの空気感は正直、全く分かりません。

彼がどう言った思惑で商業デザイナーからファインアートの世界へ挑み、商業アートという新しい価値感を作り出したのか。

Andyは「その時何を考え、世の中に何を残そうとしたのか」そこに注目し、考えながら彼の功績を辿っていきたいと思います。


Part.1は、11/27(金)更新予定です。
先ず、50年代、商業デザイン時代をピックアップして始めていこうと思います。

お楽しみに

2015年11月20日金曜日

......and DESTROY with "STUSSY"

前回のブログで、予告してたのとは少し内容を変更してお届けします。
(スケート=Stussyに行き着いてしまったので、テーマを一つに絞りました笑)


先ずはブランド誕生〜の歴史に注目したいと思います。

1980年南カリフォルニアにて誕生。
当時、ボードシェイパーとして、友人や地元の人を中心にオリジナルのボードを
作っていた。
その頃から、サーフボードに、自分の名字をグラフィティのタグ風に書いたロゴ
(ショーンフォント)を使用しTシャツやショーツにシルクスクリーンプリント。
宣伝用にとサーフボードと共に販売を始める。




下記は主に87年頃~90年代に使われていた広告。












世界中で、不動の人気を保ち続けているStussy
それまでのカジュアルファッションシーンを覆したブランドとして未だに有名です。

その理由の一つは、50年代のアメリカをフィーチャーしたようなモノクロ写真に
Stussyの文字をプリントしたり、ショーンフォントでメッセージを添えたりと、
オリジナリティー溢れるアイテムをリリースし続けていたことにもあると思います。
(※80年代当時には、アイロンプリントもあり、カラー写真等のプリントTが主流。)


下記は、80年代登場したT-Shirt







当初は、ヒッホップ、レゲエのアーティストやDJ、スケーターに愛されていた
ストリートブランドで、1990年、SOHOにNYCチャプターをオープンし、世界的に
有名なストリートブランドへと成長。




ざっくり説明すると、こんな感じです。
(詳しく知りたい方は、Stussy Japanさんのサイトでご確認ください)



(余談)そこに目が行く人ってあんまりいないと思うのですが、一番最後にご紹介した
ボブ・マーリープリントのT-shitsなんですが、ボディがポイントで
80年代のHanesボディなのです。 (80年代に使われいたHanesロゴタグで判明。)
おそらく、初期の頃はHanesのボディを使っていたのかな?と思います。


筆者がStussyに出会ったのは1999年頃で当時、地元で帰るストリートブランドは
 "X-LARGE" "Carhartt" "DC SHOE" ”Burton"くらいでした。

上に名前を挙げたブランドはもちろん当時も好きでしたが、ダントツで好きだったのが
"Stussy"でした。

今になって知ったことですが、この頃が80年代のカプセルコレクションとして
下記、写真のスカルシャツ等がリリースされていたようです。

個人的な思い出ですが、このシャツ欲しさにお小遣いを数ヶ月貯めて買いに行ったのは
今でも覚えてます。。(当時、中学生だったので)
あと、地元のセレクトショップで97年初リリースのSTUSSY×G-SHOCKコラボの
通称3つ目も置いてあり(3万くらいだった記憶)どっちを買うか相当悩んだ記憶があります。(今、思えば相当レアだな…。)


多分、現代の10代、20前半の方々のStussyファンには理解してもらえないかもですが、
現在は毎シーズンリリースされている"Would Tour T"なんてこの頃は、血眼になって
探しても見つからなかったです。


話をもう少し現代に戻しまして、Stussyが一時、凄くポップな方向にいった時が
ありまして(数年前かな?)その時は凄くショックでした。(個人的感想なので、
それがどうこうってワケでは無いですが)

Stussyは筆者の中でTrick Starな存在で有り、スケートボードカルチャーへの架け橋とも
なったブランドでした。

ビジネスという観点でみれば分からなくも無いですが、我を突き通すべきだろ‼︎って
その時は考えてました。(関係者の皆様、偉そうなことを書いてすみません…。)


その2年後くらいかな?”Stussyの原点回帰”(筆者はそう呼んでます)が始まったように
感じました。
その時、リリースされたStussy x Mad Hectic x Undefeated x New Balance CM996


これが、超カッコイイ!!ってなって即買いしました笑


これがリリースされた次の年くらいからかな?オリジナルでリリースされる商品も
以前のように独特な世界観、”STUSSYらしさ”が戻ったように思います。
(STUSSY Livin' GENERAL STOREもこの時くらいからスタートしたかと。)




少し時系列が戻りますが…
元々、コラボ商品が多いSTUSSYですが、異業種コラボで驚いたのは、
STUSSY30周年RICOHコラボのGR3でした。

アパレルブランドでも特にラグジュアリーブランドは、カメラ等とのコラボは以前から
耳にしたり、目にしたことは有りましたが、ストリートブランドでカメラメーカー
(しかも、マニアックなデジカメで)とのコラボって初めてちゃうの?!って
驚かされました。
あと、STUSSY Livin' GENERAL STOREですね。このレーベルも毎回面白いアイテム
リリースしてるなー。って思います。




今年で、35周年を迎えるSTUSSY
これからも我々、消費者をあっ‼︎そんなの出す⁈という驚きだったり、
やっぱここがSTUSSYらしいわ〜という安堵感を味あわせてくれる商品を
リリースし続け、尚且つ幅広いフィールドで活躍してほしいと思います。

今回も、35TH企画でDSMとのコラボはかなり衝撃でした!!
それと共になんか凄く嬉しさが込み上げました。(買えなかったけど…。泣)

改めて、STUSSY 35TH おめでとうございます!!



次回のテーマはまだ未定となりますが、来週も金曜更新予定です。
お楽しみに


2015年11月17日火曜日

Gender-Free Fashion

今シーズン、多くの雑誌でも取り上げられている”ジェンダーレスファッション
女性のファッションシーンでは、以前よりボーイッシュスタイルというジャンルも
あるわけで…果たしてこれはトレンドなのか?と思い、いろいろと調べてみました。


ジェンダーレス・ファッションとは

Gende(ジェンダー)=男女差別をなくしていこうという世の中の動き

2010年頃から、話題になっている”ジェンダーレス・ファッション”


恥ずかしながら、この”ジェンダーレス”と言う言葉を筆者が知ったのは、
最近です…。
ただ、考えてみれば無意識で10代の頃から、レディースの服を
コディネートに加えたりしてました笑

話を戻し、ジェンダーレス・ファッションとは、”自分が着たいものを着る”スタイル。
”着る人の性別を感じさせない、中性的なスタイル”ということです。




世代交代による価値観の変化

ミレニアル世代(2000年代に成人、あるいは社会人になる世代、1980年〜2000年
初頭に生まれた人のこと)
この世代を中心に、性的指向の見方が全体的に問い直されている傾向があるようで

現在の12〜19歳の人たちの間では、男女の境目がどんどん曖昧になってきている
ようです。

昨今のレインボーマーチ運動などへの理解もあってか、各国での同性婚の認可など
世界的に同性カップルへの理解が進行しています。
日本でも、渋谷区が日本で初めて”パートナーシップ証明”を発行する。という新制度が
スタートしたのは有名な話ですね。


世界で活躍するジェンダー・レスなモデル

2008年からコレクションのランウェイを軸に雑誌や日本のCMでも活躍、2012年
結婚を期に引退をしたAgyness Deyn
日本の化粧品メーカーのCMに出演してから特に注目を浴びていた気もします。


最近では、Alina Levichina
雑誌"Ginza”等でも活躍しているモデル。

Erika Linder
若き日のレオナルド・ディカプリオに似ているという事がキッカケで注目される
ようなった女性モデル。

Sara Cummings
今、最も注目されているSara Cummings。170センチという身長を活かし、
日本でも雑誌や広告等でも活躍


Andrej pejic


Andrej pejicは、姿は男性として生まれ
その後、男性モデルとして活躍しながらも、レディースコレクションの
ランウェイでも活躍、昨年の2014年性転換手術をし、”トランスジェンダー”、
女性として新たな一歩をスタートしました。

トランスジェンダーへの理解が浸透しつつある昨今、
”男らしさ”や”女らしさ”よりも”自分らしさ”を尊重する時代へと変わりつつ
あるように思います。

世界基準でご紹介してきましたが、ここ日本でも、テレビやSNSでもトランスジェンダーな方々が活躍しているのが最近ではよく目に付きます。
性転換手術をしたことをカミングアウトしやすくなった時代の変化。
こういった新たなる一歩が大切だと思います。

ひと昔前までの、トランスジェンダーの理解され難い時代の終幕に
向かっているのではないでしょうか。


消費者動向にみるジェンダーレスの動き

2015-16A/Wのランウェイを見ても、ジェンダーレスなスタイリングが多かった影響も
あり、消費者の動向に変化が現れつつあります。

女性の反応は特に早く、メンズ服の一番小さいサイズを選び、購入するケースが
増えているようです。
今シーズンの大注目である、アレッサンドロ・ミケーレによるGUCCIのコレクション内の
メンズ服であるボウタイ・ブラウスは男性より、女性に売れているそう。

こういった時代の変化にも柔軟に対応し、それを自分に取り込む早さを持ち合わせている
女性の動向の早さにはいつも感心します。
男性は、良くも悪くも拘りが強いので”新しい何か”が現れても中々、定着するまでに
時間がかかりますからね笑

消費者だけでなくデザイナーに注目してみても、男性用の服と女性用の服を合わせて
提示することで、時間とお金を節約でき、アイデンティティーをよりに明確にすることができる。という大きなメリットもあります。

メンズ、レディースをミックスしてショーを発表をするという動きになれば
観客者側も時間に追われずゆっくりとそのブランドの世界観を堪能できますよね



男性とジェンダーレスに注目を戻しまして…
これまでも、ジェンダーレスファッションのトレンドに影響されなかったのが
事実ですが、少しずつ新たな段階に来ていると考えている人も中には増えつつ
あるんじゃないかな?と思います。
実際、コムデギャルソンでは、以前からメンズコレクションでスカートを
発表していたり、デザイナーのマークジェイコブスもスカートを履いていた時も
ありました。
冒頭にも書きましたが、筆者は何も考えず、直感で良いな。と思ってレディースの服を
着たり、履いたりしてた時もあります(今もだけど。)

ただ、男性の大半は、昨今のバーバーズブームやアイビー、プレッピーの再燃による
クラシックなスタイルに注目しているのが事実だと思います。
それを貶しているわけではないですが、その中でも、もっと個性を出しても
良いんじゃないかな?と思うのが本音です。(これは、女性にもいえることだけど)

一つの物や事が流行れば、誰しもが我先に!と飛びつく国民性が日本の良さでも
ありますしね。

ただ、今回特集した、トランスジェンダーに関していえば、トレンドという
一過性のものでは無く、時代の変化。すなわち、新たなるカルチャーだと思います。

個人的には、ヒッピーカルチャーと似てる部分もあるのかな?なんて考えたりもします。
トランスジェンダーというキーワードで政治的論争もあったりするわけで
そんな中で”Peaceにいこうよ”っていう動きがジェンダーレスファッションではないかな。
と。

時代の流れに流されず、自分の芯を持ってPeaceにいきましょ。



今回はイレギュラーに更新しましたが、次回は20日(金)の更新予定です。